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メメント・モリ

ジョブスのスピーチの3つめの話「死に関する話」で、ドキリとしたのは「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか?」というフレーズだった。死の前には、どんな感情やプライドや悩みも些末なものになってしまうから、この意識は重大なことを選択するときの最も重要なツールだ、と言っています。
死というものが昔ほどリアルではなくなってきている。映画やドラマでの死も、簡単に人を殺めてしまう事件も日常茶飯事です。原宿でもドクロのイラストが数年前から流行ってあふれていますが昔はドクロは死の象徴で、パンクロックのお兄さんか温泉の土産物の目出しドクロのキーホルダーくらいしかなかったのに、今の若モンはあれを「カワイイ!」とのたまい身にまとって原宿はドクロだらけです。社会が成熟し、健康や安全が当たり前の先進国では死は全く遠いものだし関知しない。何かが麻痺してしまったような気がしています。そして自分の人生においてすら、身近な人が亡くならない限りは死というものを感じながらは生活していないよなあと考えさせられてしまいました。そのとき、20代の時に買った写真家の藤原新也の「メメント・モリ」という写真集を思い出しました。ラテン語で「死を想え」という意味です。
インドの情景に、短いコピーが添えられていて、その写真の力とコピーの鋭さがページをめくる度にグサリと刺さる本です。朝靄の川岸に転がっている白骨のハイキーな写真がやけに美しく、「あの人骨を見た時、病院で死にたくないと思った。なぜなら、死は病ではないのですから。」というコピーが添えられている。野良犬が川辺に転がる死体をくわえている写真には、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」とある。衝撃的な写真であったがグロい感じはせず、神聖にさえ感じる。日本の風景だろうか、船のデッキに墓石が3つ横たわり、どこかの島に運搬されるのであろう、遠くの海の向こうには島が霞んで見える写真。それには「おい、そこの幻人。」と意味不明のコピーがある。御影石の墓石が遺体のようにも見え、「幻人(まぼろしびと)」という言葉が死者を指しているのか、それとも死者が生きている自分たちに対して投げかけた言葉なのか。文章で説明しても無粋なだけですので、ぜひ写真を見ていただきたいと思います。イヤでも死を想ってしまう、しかし死は忌み嫌うものではなくきわめて自然なもので、人間はその自然の前に置いてはいかに無力なのかを感じてしまいます。
スティーブジョブスはずっと自分も死に向かっているという自覚を持ち続けていると述べています。なんと自分はだらだらしているか、つまらないことでくよくよしているのか。ジョブスのスピーチを聴き、「メメント・モリ」の写真集を思い出して自分の時間は限られていることを改めて自覚しました。ジョブスが「心や直感に従う勇気を持つ」ことができる理由は「死を想う」意識があるからなのだと感じました。
本に関心のあるかた→ メメント・モリ

個人的なこと
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熊谷淳一

熊谷淳一

株式会社ノイエ 代表取締役。デザインで経営を伸ばす経営コンサルタント・クリエイティブディレクター。デザインは第5の経営資源としてデザイン経営とマーケティングの研究にいそしむ。 お酒、書と陶芸が好き。 尊敬する人は岡本太郎。
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