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東京オリンピックのエンブレムはデザインなのか、アートなのか?

01東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会のエンブレムデザインのゴタゴタは、僕らグラフィックデザイナーにとって非常に疎ましい限りである。
東京オリンピックのプロジェクトに於ける一連のデザインのグチャグチャ状態は、いったいなんなのだ。
競技場の白紙撤回やボランティアの幼稚園みたいな奇妙な制服。そしてエンブレムの盗作疑惑。デザイン三大失敗とか言われてしまっている。

僕は日本のデザインは素晴らしいと思っている。文化的にも歴史が長く、感性豊かで審美性も手先の器用さも発想も優れている。現代の若いデザイナーも優秀な人がたくさんいる。世界的にもクオリティは高いし、評価もされている。

しかし常々思うのだが、デザインを作る立場ではなく、それを使う立場、選ぶ立場のレベルの低さには辟易してしまう。

誰がどのような理由でデザインを選択したのか、経緯はわからない。しかし「デザインの役割」をデザインを選ぶ偉い先生達は理解しているのかどうか疑問だ。

オリンピックというイベントのデザインはどうあるべきなのか?そういった議論は行われているのだろうか。建築、グラフィック、ユニフォーム、これから様々なジャンルでデザインが出てくると思うが、みんなバラバラなデザインで良いのだろうか?日本という国の歴史ある街の東京で行われる国際的なイベントのデザインとしてふさわしいデザインコンセプトは何なのか?それを俯瞰して見る人はいるのだろうか。まあ、いないからこんな事になっているのだが。

僕は今回のエンブレムは躍動感あるスポーツのお祭りのデザインとしては、ふさわしくないと思っている。このデザインを見た瞬間に、「え!これ?」と思った。「こんなに暗くて固くていいの?」という意味だ。誘致に使用されたマークの方が好きだという人も同じ気持ちだと思う。

造形的には悪いとは思わないが、デザインというのはアートと違う。目的を持ち、その目的を達成させることが「デザインの役割」であり、そうでなければデザインではなく、アートなのだ。
エンブレムのデザインの考え方を読むと「すべての色が集まる事で生まれる黒は、ダイバーシティを。すべてを包む大きな円は、ひとつになったインクルーシブな世界を。そしてその原動力となるひとりひとりの赤いハートの…」と続くのだが、非常に理屈っぽい。

僕たちも企業のシンボルマークを提案するときに、「○○の色は□□を表し、○の形は□□を意味して…」といったデザインコンセプトをつけてプレゼンするのだが、そんなものはデザイナーの一方的な理屈であって、あまり重要ではないと思っている。デザインを選んでいただくときに僕が経営者に申し上げるのは「どう見られたいのですか?」という事。マークのコンセプト文なんて、マークを見る世間の人は読んでくれないのだから、見た瞬間どう感じるか、それが重要なのだ。どう感じさせるのかをデザイナーが造形力や技術と感性で見える化をするのであって「どう見られたいのか」を決めるのは経営者なのである。

ちなみに1964年の東京オリンピックのエンブレムは十分に日本的で、スポーツイベントのワクワク感を感じさせ、さらにはスポーツの精スクリーンショット 2015-08-13 21.11.11神性までもが伝わってくるデザインだと思う。佐野研二郎氏のデザインも亀倉雄策氏のデザインも両方とも幾何学的でシンプルなのに、なぜ亀倉氏のデザインはそう感じさせるのか。それは大きな真っ赤な円形と金色の五輪の配色だ。赤と金は日本のハレの伝統的な配色であり華やかな世界観。一方佐野氏のデザインの黒はケの世界観で、侘び寂びの世界観になってしまっているのだ。よって、オリンピックにはふさわしくないと思う。

発表記者会見では、エンブレムをデザインした佐野氏から「亀倉雄策のDNAを継ぐ」という言葉が出たのだが「いったい何のためにその必要があるのか?誰のためのデザインなんだ?」と思う。
よもや盗作なんてするわけないと僕は思っているのだが、彼の手がけたサントリーのトートバックのデザインは様々な著作物を無断で使用し、デザインしているなどとたたかれている。
デザイナーって、あんな風にネットから無断で材料を持ってきてお手軽に組み合わせてデザインしちゃってるんだ、なんて思われかねないし、実際にそんな声も上がっている。全く迷惑な話である。

ボランティアの制服のデザインについてはもう書くのも嫌だ。あのデザインを選んだ人は頭おかしい。

誘致のために作られた映像は非常に良くできていると思った。軽く感動した。IOCの委員会の人たちも東京でオリンピックやりたいよね、という気持ちになってくれて支持してくれたと思う。それなのに、親切な日本人のボランティアがあんなふざけた制服でガイドをするのは日本人として恥ずかしいよ。ボランティアしようかなと考えている人に、「あんな服を着せられるのでは嫌だな」と思わせてしまっては、何のためのデザインなのか。

世界中から日本に人がやってくる。そのときに彼らに感じて欲しい事、僕ら日本人が誇りに思える事。それは「日本らしさ」と「華やぎ感」だと思う。「ああ、日本に来たな、エキサイティングなスポーツの競技にわくわくするな。」「僕らの日本の伝統と文化はすばらしいな、2020年の日本人でいられて幸せだ。」
そんな気持ちを盛り上げるデザイン。

それが今回の「デザインの役割」だと思う。エンブレムだけではない、オリンピックに関わるすべてのデザインの役割だ。

あと5年あるのだから、可能であればもう一度、デザインコンセプトを統括してディレクションするアートディレクターを設置し、オリンピックに関するあらゆるジャンルのデザインを統一されたアイデンティティーを持たせたものにするべきだと思う。

1964年の東京オリンピックではデザイン専門委員会委員長として勝見勝という人物がデザインの総合プロデューサーとして存在していた。勝見氏は日本のグラフィックデザイン界に大きな貢献を果たした人だ。今回はそのような役職は見当たらないし、そのような骨のある哲学を持った人物も存在しない。残念な事である。

※ボランティアの制服はオリンピック公式ではなく、東京都産業労働局の公認というご指摘を頂きました。オリンピック公式のユニフォームは素敵なデザインである事を祈るばかりです。

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デザイン
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熊谷淳一

熊谷淳一

株式会社ノイエ 代表取締役。デザインで経営を伸ばす経営コンサルタント・クリエイティブディレクター。デザインは第5の経営資源としてデザイン経営とマーケティングの研究にいそしむ。 お酒、書と陶芸が好き。 尊敬する人は岡本太郎。
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コメント

  1. 江口裕一郎 より:

    自分もグラフィックデザインを生業として細々とやっている者です。
    同業としてとても共感しました。きっとこの文章を読んで、同業でない方も共感してくださると思います。

    今回の東京オリンピックのあらゆるデザインに関しては、デザイン云々よりも、根本的な部分がズレているように思えてなりません。とても悲しいです。

    • 熊谷 淳一 より:

      江口さん、コメントありがとうございます。
      デザインの善し悪しというものは人と場合によって違ってくるもので、そこを議論をしても不毛な気がします。しかし根本的な問題としてデザインはどうあるべきなのか、この哲学をしっかり持っているリーダーがいないという事はグラフィックデザイナーとして寂しい気がします。ましてやネットではデザイン賞やコンペを関係者のコネだけで決められているような事もささやかれていますが、本当だとすれば、こんなにアホらしく悲しい事はありません。まあ、以前から薄々感じてはいましたが。
      だからこれからのデザイナーはデザイン村から抜け出して、人の役に立つデザインを提供していかなければならないと思うのです。

      • Kei Kinoshita より:

        「人の役に立つデザインを提供していかなければならない」全く同感です。文章が好感の持てる分かりやすさで共感しました。

        • 熊谷 淳一 より:

          Kinoshitaさん、ありがとうございます。岡本太郎が言っているように、アートは嫌われてもいいのですが、デザインは嫌われてはダメなのです。デザインにも「共感」はとても大事な要素です。

          • fukui より:

            『アートは嫌われてもいいのですが、デザインは嫌われてはダメなのです。デザインにも「共感」はとても大事な要素です。』
            この言葉に感動しました!!
            今回のエンブレムは、丁寧に作られたと思いますが、コンペを通過する為の作品というか、審査員の先生達好みに作られたと思っています。

          • 熊谷 淳一 より:

            fukuiさん、どうもありがとうございます。
            コンペを取ろうとして作戦を練る事はデザイナーとして自然だと思いますが、審査員の好みでコンペを取ってしまえるような事自体がていたらくだと言えるのでしょう。これはひとえに審査する側のレベルの低さに問題ありと思うのです。

  2. 池本史朗 より:

    ごもっともと思い、シェアさせていただきました。雨降って地固まるとなればいいですね。

    • 熊谷 淳一 より:

      池本さんシェアありがとうございます。今回の事でデザイナーも身の引き締まる思いでいろんなことを考えさせられたと思います。雨降って地が固まる事を僕も願っています。

  3. 臼井信浩 より:

    拝見させて頂き、私も身が引き締まる思いで、深く考えました。日本では、システムやビジネスなどのプロセスや方法論、そのためのトレーニングなどが浸透してきた感はありますが、「デザイン」をマネジメントするという風土醸成がまだまだ、足りないのではと、感じます。そのための教育が、重要だと思い、今こそ不可欠な気がします。自身含めて、ちいさいところからでも、学びを始められないかと考えます。

    • 熊谷 淳一 より:

      臼井さん、おっしゃる通り、僕も教育が足りないと思っています。今までのデザイン教育は美術大学も含めて表現技術の訓練ばっかりで、デザイナーのビジネスマインドや社会性の教育がほとんどされていません。欧米では経営学部やMBAでもデザインの事(表現技術ではなく)を学びます。つまりデザインを選ぶ立場、デザインを依頼する人間のデザインに対する考え方を学ぶ環境があるのです。日本ではまだまだ遅れているので、デザイナーの地位も低いままだし、正しいデザインを選べる人も少ないと感じています。

  4. 大谷新 より:

    私はコピーライターですが、まったく同感です。パクリ騒動以前に、なぜこんなデザインが選ばれたのか…非常に疑問でした。過去20年の五輪エンブレムを並べてみれば、このデザインのダメさ加減が一目瞭然だと思います。

    • 熊谷 淳一 より:

      大谷さん、ありがとうございます。今回のような暗いイメージのデザインは今までになかったですね。過去のエンブレムのデザインの好き嫌いは人それぞれあると思いますが、共通しているのはどれも明るく元気なイメージです。今回のデザインはオリンピックのエンブレムとして、なくてはならない条件をクリアしていないと思います。人類と平和、繁栄と明るい未来のイメージ、オリンピック憲章、そのような理念が正しくデザインに反映されていなかった。なぜこれが選ばれたのか不思議ですね。

      • 大谷新 より:

        お返事ありがとうございます。そうなんです。別の言い方をすれば、スポーツの祭典なのに動的な要素に乏しいことと、世界中の誰がみても一目瞭然の明快さに欠ける点が気になっています。また、これまでの佐野さんの仕事を拝見するに、意匠デザインは必ずしも得意分野ではないのではないかと思い始めています。

  5. 岩川 健 より:

    熊谷さんの意見にまったく同感です。気骨があり、見る目のある、優秀なプロデューサーが望まれます。

    • 熊谷 淳一 より:

      岩川さん、ありがとうございます。日本ではこのような場合、優秀かどうかというよりも、有名な先生とか、大学教授とか、政治家とか権威があるかどうかが重要視されるようです。気骨があり、見る目があっても権威がなければ出る幕のない社会。なんだかおかしいですよね。
      「デザイン賞を取っているから良いデザイナー」とは限らないのに、見る目がないからわからない日本のビジネス界、内輪でお互いに賞を与え合ってるような全然クリエイティブではないデザイン界を憂慮します。

  6. 大石雅昭 より:

    熊谷淳一様
    おっしゃっていること、お気持ちは痛いほど伝わります。
    「風姿花伝」に、「目利き」「目利かず」とあります。
    今の日本には、富や名利を求めるものばかりで、心を置き忘れた者達が権力の場に居座っています。
    その者達にとって、利権や利権に繋がる人脈が重大事であって、とうてい美しいものを見分ける事、大事にする事は無意味なことでしょう。そうした人間を作り上げてきた日本の教育。今、学校では美術の教育が削除されようとしています。いよいよこの様な不埒な輩が増えてくるのでしょうか。今回の不愉快事件を期に、皆で考え直す時、立ち上がる時ですね。

    • 熊谷 淳一 より:

      大石さん、ありがとうございます。
      美術の授業が削除されてしまい、見る目を持たない者が増えていくなんて恐ろしい事ですね。たとえそんな事になったとしても、僕は世阿弥の言っている次の言葉がプロのデザイナーとしてとても大切な事なのではと思うのです。

      「芸が上手でも、見る目を持たない人(目利かず)には理解してもらえない。芸が下手なら見る目を持った人(目利き)からは評価されない。しかし、本当のプロならば、見る目を持たない人にも感銘を与えるような芸ができなければならない」

      今回のエンブレムのデザインは見た瞬間に非常にプロ好みの難しいデザインだなあと感じました。審査員の大先生からもなぜ良いのかという解説が語られ、多くのデザイナーもこのデザインを擁護していたようですが、笑止千万。デザイナーからも「素人にはわかんないだろうなあ、このデザインの良さ」のようなコメントもあり、片腹痛い。
      そんなのプロじゃねえ!と世阿弥もあの世で言っていると思います。

  7. 戸倉 巌 より:

    初めまして。
    「それを使う立場、選ぶ立場のレベルの低さには辟易してしまう」というところに共感しています。
    今回のエンブレムは佐野氏のプレゼンの巧さによって勝ち取ったと思いました。「非常に理屈っぽい。」ですからね。
    でも何がひっかかっているのかを自分では説明出来ませんでしたが、「スポーツイベントのワクワク感」が無かったんですね。とても納得できました。ありがとうございます。

    • 熊谷 淳一 より:

      戸倉さん、はじめまして。
      理屈やデザインコンセプトは大切ではない、とは思いませんが、もっと大切なものがすっぽり抜けてしまっている気がしています。
      プレゼンが巧い者が通るコンペは、つまりは選ぶ側に見る目がない、哲学がない、理念がないと思うのです。
      審査員はどこを向いて審査しているのかわかりませんが、日本国民の方は向いていない気がしてなりません。

  8. かさはらかおり より:

    アートとは、デザインとは何か?
    とても理解できるご意見です。
    今回のオリンピックロゴを見た時、何かもの足りない気がしたのは、「ワクワク感」だったのだと気付きました。
    私はものづくりをする一主婦です。
    今回の件で、デザインについて一般の人が考える機会をもつことができたと思います。

    • 熊谷 淳一 より:

      かさはらさん、ありがとうございます。
      かさはらさんのおっしゃるように今回の件で、一般の人がデザインについて考えてくれると嬉しく思います。
      そしてデザインを発注する側の人たちにも、デザインで大切な事は「形」や「色」だけではないのだという事を考えてくださるきっかけになる事を願っています。

  9. yuko より:

    本当にその通りだと思います。デザイナーでありながらデザインやロゴの重さ、大切さをわかっていない。この大会を盛り上げたい!そこに自分のデザインロゴがこの先歴史的に残るんだという事が理解できる人ならこんなことは怖くて出来ないはずです。白紙に戻して一般公募で若いデザイナーやアーティストにJAPANESE DREAMを。

    • 熊谷 淳一 より:

      yukoさん、ありがとうございます。
      デザイナーは「自分のデザイン」という意識でいるでしょうし、広告代理店は利権中心で考えているでしょう。しかしエンブレムのデザインはその性格上デザイナーのものではなく、社会のものだと思います。そういった見地からデザインを考えていかないと、デザイナーや金儲け企業の自己中心的で独りよがりなものが出来上がってしまうのです。

  10. SOW より:

    書かれていることは、ほぼ同感です。
    が、ボランティアの制服については誤解があるのようですので一言。あれはオリンピックとは関係のないもので、東京都の外国人観光客向けの観光ボランティアの制服で、すでに活動しています。オリンピック関連なら五輪マークが入りますが、あれには入っていません。オリンピックボランティアの制服については別に出来るものと思われます。その時にはダサくない物が出るように祈っております。
    http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2015/05/20p5t400.htm

    • 熊谷 淳一 より:

      sowさん、ご指摘ありがとうございます。
      てっきり公式なものだと勘違いをしておりました。これは東京都の企画だったのですね。ちょっと安心しました。オリンピック公式のユニフォームはダサくないものになるといいですね。
      しかし、東京都民として恥ずかしさは変わりませんねえ。これを選んだ人はやっぱり頭おかしいです。

  11. 山崎智子 より:

    はじめまして。
    文を拝見して全くその通りだなぁと思いました。
    今回のエンブレムは「これ自体はメディアで言うほど悪くはないけれど、このポスターが街中に貼られるのかぁ…う〜ん」というのが感想でした。

    IOCでTOKYOの札が見えた時の映像、あの歓声に興奮しない人はほとんどいないと思います。あの時オリンピックが日本に来るんだと本当にワクワクしました。

    新国立競技場の白紙撤回と同じでゴタゴタしてるとオリンピックそのもののイメージが悪くなるだけなので、変えるなら早めにお願いしたいです。

    • 熊谷 淳一 より:

      山崎さん、コメントありがとうございました。
      東京に決まった瞬間のあの感動、本当にワクワクしましたね。自分が生きているうちに東京でオリンピックが開催されるんだ!って。
      そして東京オリンピックのエンブレム発表の瞬間。デザイナーとして、日本人としてこんなにがっかりさせられるとは。
      コーポレートアイデンティティ、いわゆるCIというものがあります。企業のシンボルマークを新しくして、時代に合った経営をしていく経営戦略ですが、シンボルマークを変える事によって業績が伸びていく現象が起こります。それはイメージが良くなったから顧客が増えるという効果よりも、社内の志気が上がるから業績が伸びるという効果の方が実は大きいのです。
      つまりシンボルマークのデザインがいかに人の気持ちを高揚させ、やる気を出させ、ハッピーにするか。
      デザインの力の役割はかくも大きいものなのです。
      それが逆に働いてしまったら…。

      葬式みたい
      ワクワク感がない
      どこかの国のなんかのマークにそっくり、
      マークのデザイナーは他にもパクっている常習犯
      審査員が内輪の関係者ばっかり

      こんなマークで国民の士気が高まるわけないですよね。
      デザインの力は強力です。
      人を動かし、世の中をも動かす力を持っていると僕は信じています。
      それはプラスにもマイナスにも働くのです。
      山崎さんがおっしゃるように、早めに変えていただきたいですね。

  12. 山口誠次 より:

    いちいち共感いたします。似ているとかそういうことではなく、とにかくまったく高揚感を覚えないということです。
    どうしてこのようなことに陥ったのか、スタジアムや、ボランティアコスチュームについてもやっていることバラバラで、お見苦しいかぎり。何か大事な事が欠落しているにちがいないと思います。

    • 熊谷 淳一 より:

      山口さん、ありがとうございます。
      山口さんの感じられている通り「大事なもの」がすっぽり抜けているように僕も感じています。
      「大事なもの」とは「他利の精神」だと思っています。
      世界的なイベントのためのデザインであれば、もはや「自分の名誉のため」「会社の利益のため」「利権を獲得するため」などといったために仕事をするべきではない。
      このデザインをを見る人のため、このデザインを使う人のため、いわゆる世のため人のためといわれる「他利の精神」でデザインをしなくてはならないし、デザインを選ぶ者の責任は重たいのだと思います。今回、選ぶ側に「他利の精神」はあったのか、それとも「我利の精神」しかなかったのか。
      そういう人たちを昔の人は「我利我利亡者」と呼んでましたね。

  13. 橋本 より:

    初めまして、私も熊谷さんの意見に賛同させて下さい。
    そう、そうなんですよ。
    今回のオリンピックエンブレムって遊園地のロゴのはずなのに高級ブティック店のデザインが来たみたいな感じだったんですよね。
    例えば、妖怪ウォッチやトイザらスなんかにグッチやシャネルみたいな高級感って誰も求めてないんですよね。
    確かにあのエンブレムはデザイン自体はいいんでしょう、これが高級ブティック店や高級ブランドのロゴならとても似合っていたと思います。
    多分佐野氏の周りのデザイナーさん達は、心理的緑内障にかかってるんでしょうね。

    • 熊谷 淳一 より:

      橋本さん、はじめまして。
      同じデザインでもターゲットや目的によって良いデザインになったり悪いデザインになったりします。
      ですので、デザイナーは一番最初にそこのところをきちんと押さえておくべきですし、デザインを選ぶ立場の人もそこを基準に選んでほしいですね。
      橋本さんがおっしゃる通り、高級ブティックのマークなら良いデザインだったと思います。

  14. 小阪美鈴 より:

    理論的で正当な分かりやすいご意見に大いに納得いたしました。アートとデザインの違い、勉強になりました。

    • 熊谷 淳一 より:

      小阪さん、コメントありがとうございます。
      アートとデザインは見かけは似ているけれど、反対を向いているような気がします。デザイナーでもこの言葉をよく理解せずにごっちゃにして使っている人も多いのです。デザイン学校でしっかり教えるべきですね。

  15. 虹丸 より:

    熊谷さん初めて投稿します。総論賛成です。アートを生業としている立場から、少しお話したいと思います。僕の個人的な見解ですが、デザインは問題解決です。そしてアートは問題提起です。今回の問題は、問題解決どころか問題提起してしまっていますね。アートでも山ほどある作品の中で、どれほど問題提起をしている作家作品があるでしょうか。問題提起のない作品は、アートでは無く、単なる絵、お絵かき事です。佐野案問題は、デザイン界の閉鎖性とおっしゃるように、哲学を持ったリーダーが不在のための、事件だと思います。また、コンペは審査員も見識を試されているものです。これからどうなるのか不安ですが、しっかりと見据えて、学んで行くしかありませんね。因みに、晩年の亀倉先生と一緒に仕事をしたことが有りましたが、政治家で言うと、田中角栄のような、カリスマ性のあるかたでした。虹丸

    • 熊谷 淳一 より:

      虹丸さん、コメント感謝します。
      「デザインは問題解決。アートは問題提起。」本質をズバリと突いたすばらしい言葉ですね。これ、使わせていただいてよいですか?
      亀倉先生とご一緒にお仕事をされたとはすごいですね!彼のようなリーダーがいなくなってしまったのは寂しい限りですが、地に落ちたデザイナーのイメージを我々もがんばって、取り戻したいと思います。

  16. 高梨 俊作 より:

    ちょっとおじゃまします。
    前回のオリンピックロゴは日本オリンピックにしたかったから亀倉氏はあのデザインを提案したのではないか?そして選ぶ側も日本を世界にアピールしたかった?世論も日本に自信を持ち、世界に戦後復興日本を伝えるチャンス?のような流れ? で創造されたと自分はあのロゴをみて勝手に想像します。
    今回のロゴはどうでしょう?都の意向が強いんだ?都から金ほしいんだな?(競技場迷惑かけたしな譲るか?)東京アピールしたいみたいね?東京の価値を世界にアピールするチャンス? d

    • 熊谷 淳一 より:

      高梨さん、ありがとうございます。
      亀倉氏のデザインは戦後復興の日本を見事に世界に伝えたデザインだったと思います。あれを選んだ審査員もすごい。満場一致だったと聞きますが、全員の理念が明確だったのでしょう。50年経った今でも通用するデザインだと思います。デザインは作る事よりも選ぶ方が難しいのかもしれません。

  17. 小林デザイン室・小林三夫 より:

    熊谷淳一様ありがとうございます。初めて新聞発表で見たときの「ガッカリ感」、「鼓動」が動画にもシンボルにもどこにもない「ガッカリ感」、ボランティアの幼稚園みたいな奇妙な制服も同じ。気持ちを代弁していただいた文章を読ませてもらい少し気持ちが軽くなりました。感謝です。

    • 熊谷 淳一 より:

      小林さん、ありがとうございます。
      僕も発表のときにデザイナーとして本当にがっかりしました。しかし、さらにがっかりしたのは原案が発表された時です。造形的にも、コンセプト的にもヒド過ぎ。なぜ、こんなロゴが日本のグラフィックデザインの頂点に選ばれたのか、全くわからず、その日は仕事ができなくて家に帰ってしまったほどです。仕切り直しになって、ホッとしました。

      • 小林デザイン室・小林三夫 より:

        返信ありがとうございます。私も同感です。一番の衝撃は「原案」を見た時です。「ダメダコリャ!」(ドリフターズのいかりや長介さん降臨?-笑-)今度はきっと、喜ばれる素敵なシンボルとなりますように。

  18. ありな より:

    本当にその通りですね。
    とても同感出来ました!

    • 熊谷 淳一 より:

      ありなさん、コメントありがとうございます。あれから2年ほど経ちますが、デザイナーのイメージが悪いまんまですね。デザインがもっと社会に必要なのだと声を上げていかなければならないと思うのですが、なかなかねえ。

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