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人として一番残酷な病とは

%e3%82%81%e3%81%84%e3%81%ab%e3%81%a1父が亡くなってから今日で丸2年になる。アルツハイマーという脳の病で、10年間も闘病し、亡くなった。
亡くなる1年前の夏のある日、見舞いに行った時に「あなたが誰だかわかりません」と申し訳なさそうな、よそよそしい力無い笑顔で言われた。ついに息子の顔もわからなくなったか!この日がいつか来るだろうと、覚悟していたが、やはり少し寂しい気持ちで病院を後にした。

それから亡くなるまでは意識も朦朧となり、眠っているだけ。意識があったとしても、目の前の人が誰なのかわからないまま眠るように逝ってしまった。

あの世で下界を見ることができたとしたら、死んだ後も息子のことを認識してくれるのだろうか?それとも死んだ時の状態のままで、なにもわからずあの世でくらしているのか?心の中で父に語りかけても、わかるのか? はたまた死んで肉体である脳から魂が解放されたら、記憶が戻り、息子の事をあの世から認識できるようになるのか?
そもそも死んだら霊は存在するのか、しないのか?

「千の風になって」という歌が昔はやったけれども、光や雪や鳥となっていつでも側に居てくれる、という歌詞に癒やされる遺族の方がたくさんいたと思われるが、アルツハイマーになった父は大空を徘徊して、我が家を見つけてくれないのではないか…。などと考えてしまうのだ。

アルツハイマーと言う病気は絶対になりたくない病気だ。自分の最愛の家族の事がわからなくなり、思い出も消えてしまうなんて。
忘れられてしまう悲しさよりも、忘れてしまう方がもっと悲しい。今までの人生を振り返る事もできず、自分の人生が最後を迎える事もわからずに命が消えてゆく。死の恐怖や痛みを味わうことなく死ねるのはある意味、幸せなのかもしれないが、これまでの人生で出会った人々に感謝をして、懺悔をして、いい人生だったと思いやすらかに逝きたい。アルツハイマーは、それができない、人として一番残酷な病なのではないだろうか。

しかし、いつ、自分もそうなってしまうかわからない。事故に遭って、一瞬で死んでしまうかわからない。
だから、死にぎわでは、こうありたい、などと妄想することなしに、日々、今この時を楽しんで、感謝をして暮らしていきたいものだと思う。
人間はいつか死ぬ。絶対に死ぬ。しかし、今は生きている!
この大きな事実を大切にしたい。

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熊谷淳一

熊谷淳一

株式会社ノイエ 代表取締役。デザインで経営を伸ばす経営コンサルタント・クリエイティブディレクター。デザインは第5の経営資源としてデザイン経営とマーケティングの研究にいそしむ。 お酒、書と陶芸が好き。 尊敬する人は岡本太郎。
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コメント

  1. shizuka より:

    認知症を患ったご家族は、皆様独特の悲しみを抱かれます。
    でも、お父様は、脳の認知機能の障害によって認識することができなくなってしまっただけで、お父様の魂は必ず息子を
    大切に思い愛してくださっていると思います。
    大丈夫です(^◇^)
    認知症の予防についてはテゴコロも情報共有してまいります。
    生きていることは本当に奇跡ですし、感謝ですね。
    貴重なお話をありがとうございました。

    • 熊谷 淳一 より:

      記憶から最愛の家族のことや楽しかった思い出が消えてしまうなんて、信じられません。魂とは何であるのか、皆目分かりませんけれども、そういうものが存在していると信じたいと思います。
      shizukaさん、どうもありがとうございました。

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