代表者について

こんにちは。代表の熊谷淳一と申します。
ここでは私の自己紹介をさせていただいております。
初めてデザインを発注していただく方に対して、この会社の代表がどんな人物なのか少しでも知っていただき、親近感を持っていただければ今後もお話しやすいと思いました。同時に弊社への評価の参考にしていただき、安心感を感じられ、信頼を築いていただくことができれば嬉しく思います。
私のブログ『中小企業の経営とデザイン』もご覧ください。
よろしくお願いいたします。

熊谷淳一 写真

プロフィール

アートディレクター、デザイン経営コンサルタント
多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業

【ビジネスの販売支援事業】
中小企業の経営者、個人事業者に向けてブランディング、販促ツール、ホームページ等販売促進に広く関わりマーケティングを駆使した「売れるデザイン」を提供し売上向上のご支援をしています。

これまで創業して20年以上に渡り、大企業から、中小企業、個人事業や自治体の様々な業種において、約4000件以上の販売促進のためのデザインや広告、展示、サインブランディングデザインなどを手掛け、成果をあげてきました。

【講師、セミナー活動】
15年以上に渡り全国の商工会議所、自治体や大学のご依頼で個人事業者や起業家を対象にデザイン講座や経営相談、起業・副業のご支援を行っており都度行われる講師やアドバイザーのアンケート評価では常に満足度9割超を得ています。親切丁寧でわかりやすい講義に定評があります。

血液型
A型ですが几帳面ではないといわれます。
星 座
いて座ですので大胆といわれます。
性 格
温厚、明朗、短気、楽天家
趣 味
書、陶芸
好 物
お酒、やきとり、しいたけ、すし、カレー
座右の銘
人間万事塞翁が馬

さらにパーソナルな事をお知りになりたい方はこちらへどうぞ >>

所属団体・資格

セミナー・講演

中小企業の経営者や個人事業主を対象に、デザインやマーケティング等のセミナーを行っています。自治体の産業振興課、中小企業振興公社、商工会議所などでは、中小企業が業績を伸ばすためにマーケティングやデザインのお話をさせていただいております。

起業家の支援にも力を入れており、品川区立武蔵小山創業支援センターや日本最大級の起業家支援ポータルサイト「ドリームゲート」のアドバイザーに登録し、起業家のためのセミナーや経営の相談を行なっています。

民間企業の社員研修では、ビジネスにおけるデザインの活用の仕方や社内デザイナーの技能研修などを行っています。

全国の博物館や美術館の学芸員を対象として、集客のためのチラシの作り方や展示パネルのデザインに関しての研修を行っています。

また、日本最大級の学びのコミュニティサイト「ストリートアカデミー」で オンラインレッスンを行い、集客や売上を伸ばすために役立つマーケティングやデザインスキルなど実践的な講座を提供しています。

 

中小企業、個人の経営者様向けのセミナー・講演

  • 板橋区+北区+東京都産技研合同主催 「中小企業のための売れるブランド作り」
  • 武蔵野商工会議所 「中小企業はデザインで伸びる!」
  • 大阪産業創造館 「【販促力UPセミナー】<実践編>商品の良さを伝える 販促ツールの作り方」
  • 千葉県産業振興課 『戦略的デザイン活用塾』「デザインでビジネスの成長を加速させる」
  • 群馬県 産業経済部主催 『平成30年度群馬県デザイン講座』「中小企業のためのデザイン活用術 ~商品の良さを伝える販促ツールの作り方~」
  • 青森県、八戸地域地場産業振興センター 『商品やサービスを売るためのしくみ「良さそう」の法則』

起業家様向けのセミナー・講演

  • 国立大学法人 弘前大学、青森経済同友会 『弘大じょっぱり起業家塾』「マーケティング志向の事業計画」
  • 東京都産業技術研究センター主催「販売促進企画講座」8ヶ月間の講座
  • 品川区立 武蔵小山創業支援センター 「起業する時に必要なのは“おもてなしの心”としてのデザイン」
  • 品川区立 武蔵小山創業支援センター 『ムサコ起業いろは宿(実践編)』「顧客が獲得できるホームページの作り方/営業ツール(チラシ・パンフレット)の作り方」

デザイナー向けのセミナー・講演

  • 東京都産業技術研究センター主催「マーケティングデザイナー養成講座」8ヶ月間の講座
  • 東京都産業技術研究センター主催主催「マーケティング実践講座」8ヶ月間の講座
  • 企業内デザイナー対象の企業研修「売れるデザインを作るために」
  • 東京都立産業技術研究センター主催「デザイナーのためのコンサルティングの基礎」講座
  •  

民間企業の社員研修

  • 株式会社富士通マーケティング社員研修 「伝わる企画書のデザイン」
  • バンダイナムコ、バンプレスト社員研修 「商品の魅力を伝える販促ツールの作り方」
  • 日本石鹸洗剤工業組合 「マーケティング戦略における差別化要素」

学芸員様向けの講演・研修

  • パナソニック電工汐留ミュージアム 学芸員照明研究会 「美術館展示パネルの可視性、可読性〜良い展示パネルの条件」
  • 南山大学人類学博物館 文部科学省 オープン・リサーチ・センター整備事業 「ミュージアムのコミュニケーションデザイン」
  • 九州産業大学 学芸員技術研修会 「展示グラフィックと集客ツール」

この他にもセミナーや講演をたくさん行なっております。

著書・コラム執筆

講談社「博物館展示論」(共著)

博物館展示論

「展示グラフィック」と「広報のためのデザイン」の章を担当。

学芸員を目指す人のためのコンパクトなカラーテキスト。博物館・美術館における展示の基本を学べるだけでなく、現場で活かすことができる実践的な技術を多数紹介。
(アマゾンのサイトより抜粋)

日経BP社の日経クロステック 連載コラム

[コラム]経営を伸ばす視覚伝達デザインの鉄則・エンジニアのための視覚伝達デザインの法則

日経BP社のIT情報サイト日経クロステック(旧 ITpro)に掲載された連載コラムです。経営におけるデザインの価値を経営者に向けてわかりやすく解説した連載記事です。
(バナーをクリックすると記事のインデックスに飛びます)

デザイナーとしての歩み

僕のこれまでの波乱万丈のデザイナーとしての歩みを書いてみました!
暇で暇で仕方ない方はどうぞ。言っておきますが、長いです。(笑)

東京都に生まれる
小さい頃から絵を描くことや工作が好きで、幼稚園の頃にお絵描き教室に通わせてもらい、小学校の時に絵画コンクールで入賞。そのことが嬉しくて中学、高校では美術部に所属。
中学の頃に「講談社フェーマススクールズ」の「コマーシャルアートコース」を親にねだって買ってもらう。

日本の景気が全盛期だった80年代、池袋西武百貨店が通学路にあったので、いつも寄り道して、アートディレクターの田中一光 のセゾングループのポスター、広告、インテリア、サインなど様々なデザインやアートディレクションに刺激を受け、デザイナーの道を志す。

高校を卒業し、美術大学を受けるも受験失敗。浪人となり、1年間予備校(すいどーばた美術学院)へ通う。

多摩美術大学 美術学部 グラフィックデザイン学科 入学
貧乏な美大生で課題に追われつつ、実家でのんびり暮らす。学生時代は目立つこともなく、3年生からのゼミは書ゼミと写真を専攻。サークルは広告研究会。

折しも広告ブームで西武百貨店やサントリーの黄金時代。学園祭のために、夜遅くまで友人の家に泊まり込みで8ミリカメラを回してCMを撮影していたり、新聞広告を作ったりしていました。

様々な会社を転々とする従業員デザイナー時代

株式会社○○企画 入社(現在はADKインターナショナルに吸収合併)
最初に就職したデザイン会社は、中堅のデザイン制作会社。パイオニア、テルモ、力シオ、富士フイルム、など大手企業の広告、SPツールの制作に携わる。

社会のこともリアルに感じておらず、就職してもぬくぬくと何も知らないで暮らす、無知な若者だった。この会社の先輩や仲間は皆すばらしかった。勉強になりました。若いデザイナーの部下もついて、デザインをチームとして制作していくことを学びました。大企業の本社に伺い、クライアントと打ち合わせをしたり、刺激的な事ばかりの毎日でした。夜は徹夜してよく会社に泊まりました。床に段ボールを敷いて、梱包材のビニールのプチプチを毛布がわりにくるまって朝まで仮眠とか、今ではブラック企業と言われるのかもしれませんが、全然辛くなかったし、楽しい思い出です。でも4年近くも同じ会社にいると仕事も覚えてしまい、新しい世界に行きたくなるのです。景気もよかったし、次の高いステップを目指して転職活動へ。

花王株式会社のデザイン制作部に転職
次に就職した会社は、花王のインハウスデザイナーとして転職。バブ、ソフィーナ、サクセスなどの担当につき、店頭のPOP、SP、プレミアムキャンペーン広告を中心に制作に携わる。

花王はやっぱり超一流の企業でした。本当に皆さん優秀で、いやな人やだめな人は周りにいなかった。マーケティングに力を入れている企業で、商品開発や販促活動の数字を定例会で説明をうけるも、その頃の僕はまったく理解がなく、自分と関係ないとさえ感じていました。パッケージデザインの部署やマス広告の部署の人たち、外部の大手広告代理店のデザイナーとの交流も刺激になったし、クライアントとしての立場や視点で外部の制作協力会社、印刷会社など、多くの人と接することも勉強になりました。

仕事は楽しかったけれども、しかし大企業ならではの「企業の歯車」の一部的といいますか、花王のデザインは誰がやっても花王のデザインでなくてはならないという、マーケティングに基づく掟があり、この仕事は自分でなくても良いのではないか…というような、ある虚しさを覚えていました。そして「このような地球を汚している化学物質を量産する企業のために自分は手を貸しているのか」などという、いかにも何もわかっていない若者の青臭い思考が頭をもたげ、またまた新しい世界を目指します。

株式会社○○○研究所に転職
3番目に転職したデザイン会社は、企業のClシステム、Vlシステム、会社案内、SPツールなどの制作会社。ここの社長はCIブームを牽引したPAOSに在籍していてそこから独立した会社。PAOS流のブランディングデザインの理論とスキルを叩き込まれました。

この小さな8人ほどのCI会社の社長に「デザインは経営のためにあるべきだ」と教えられる。美大でも、大企業でも教わらなかった。目から鱗。それまで自分はデザインは「好きだから」やっていただけということに気がつく。この会社で初めてデザインの本質を教わった気がします。

デザイナーは僕を含めて4人。同い年の男性チーフデザイナーと若い女性デザイナー(22~23歳くらいだったかな)社長は40代後半の若い会社だったけれど、この会社で初めて「企業の経営」を意識することになりました。それまでは華やかに見えていたデザインというものが急に重みを持ち、一体何のために自分はデザインをするのか、という問を突きつけられました。

折しも、バブル崩壊の影響で世の中は大不況。CIブームも過ぎ去り、この小さな会社も傾き倒産の羽目に。社長からは「もう給料を出せないけれど、しばらくは失業保険をもらいながら働いて欲しい」と涙ながらに言われました。しかし、それはルール違反です。転職しても良かったけれど、もう少しCIの勉強がしたいという思いの方が強く、給料も失業保険ももらわずに数ヶ月仕事をさせてもらいました。

有限会社○○○デザインに転職
4番目に転職したデザイン会社は、博物館や展示、サインの展示グラフィックのデザイン会社。日本全国の国立博物館や民間の博物館の展示グラフィックやブランディングのデザインを手掛けました。

経営のためのデザイン。それは理解していたけれど、世の中が不況になると企業はデザインにお金を使わなくなります。大学を卒業してから企業の利益を伸ばすためにデザインを作ってきましたが、自分のデザインの技能や知識を企業の利益の追求のために使っていくことに、なんとなく疑問も持ち始めていました。
(しかし現在は違いますよ!社会における企業の存在意義を理解しているので利益の追求は当たり前であり、必定である。まだ若かったからそんなケツの青いことを考えていたのでしょうね。。)

そんなことで公共や社会、教育のために自分の能力を使いたい。その方が世のため、人のためになるのではないかという思いを持ってしまい、商業デザインから、アカデミックな博物館や、公共サインのデザインの会社へ転職しました。前職で無給で働くことにも、もう限界でしたし。博物館の展示デザインや公共のサインデザインは今までやってきた物と全く違う。一から勉強し直しました。

この会社ではかなりめちゃくちゃブラックな働き方をしてました。徹夜は当たり前で、風呂に入るために家に帰るような生活。若かったからできたのですねえ。この会社でも、不況の波は襲ってきました。僕は倒産しそうだと感じた時点で、見切りをつけて転職活動を行い、さっさと会社を離れました。後で聞いた話には、残ったメンバーは結局給料を払ってもらえず、社長の家まで押し掛け、給料払え!と阿鼻叫喚の様だったそうです。(泣)

株式会社○○○に転職
で、最後の5社目に転職したのが「経営のためのデザインはCIの考え方が中心になる」という考えで店舗の空間設計とグラフィックデザインを総合的に行うデザイン会社。大型量販店のコメリやマックスバリューなどの店舗デザイン、ビジュアルアイデンティティ、サインシステム、販促ツールなど店舖に関わるグラフイックデザイン全般の制作を手掛けました。

かなり理論的でやり手の社長でしたので、ゆくゆくはこの社長の右腕になりたい、という思いもあり、仕事への不満は特になかったけれど…。なんとな〜くこの社長の人柄が好きになれず、たったの9ヶ月間で突然退職したのです。

そしてなんとこの会社の社長は数年後にインサイダー取引を行い、逮捕され、会社は解散になりました。(泣)

そして突然フリーランスとして独立!

その会社に9ヶ月間在籍した頃、突如独立の想いが胸に去来しました。
なぜそう思ったのか、自分でもよくわかりません。神様のお告げのように想いが去来したとしか言いようがないのです。その時妻は妊娠していたし、バブルの崩壊で失われた10年の真ん中、ど不況の中、周囲の不安をよそに1995年9月に独立しました。屋号は「クマガイデザイン」。

最初は倒産していた4社目のデザイン会社でお世話になったクライアント様から仕事をいただき、スタートを切りました。そのデザイン会社から机をもらってきて、自宅の部屋で発売されたばかりの高額なPowerMacを購入し仕事を始めました。

職場を自宅を出て居候させてもらう
下北沢にあった、いとこが経営するインテリア会社の片隅に机と電話を置かせていただき、居候のようにして仕事をする。

一人でデザインして、見積り作って、切手を買って来て、掃除して、企画書作って…。何もかもワンオペでやっていたので深夜遅くまで仕事して、休日もほとんどなかった。
A3サイズの大型インクジェットプリンターを買ったのだけれど、1枚プリントするのに30分もかかって、結構な頻度で途中で止まってしまう。あと少しのところで止まってしまうことも多くて、夜の12時にそんなことになると「またやり直し!今日も終電間に合わん!キ〜〜!」みたいなこともしょっちゅうでした。

そんなことで産まれたばかりの子どもの顔を見る事も少なく、赤ん坊の時の記憶は写真のイメージしかないので、とても寂しい。今から思えばうちの奥さんも子育てをワンオペでやってくれていたんだなあと感謝しかない。

個人事業から法人化に移行

おかげさまで仕事も順調で、税金対策のためと信用を固めるために個人事業から法人化に移行。屋号を「有限会社ノイエデザイン」としました。

それまでは自分の名前を冠にしていましたが、有名デザイナーでもないのでなんとも面映いようなバツが悪いような気持ちでした。

「ノイエ」は僕の好きなノイエ・タイポグラフィ(ニュー・タイポグラフィ、Neue Typographie)からいただいた言葉です。

ノイエ・タイポグラフィ運動は1920年代にドイツのバウハウスやロシア構成主義から生まれた、合理的で機能的なモダン・デザイン運動で、ごちゃついた伝統的な装飾や左右対称のレイアウトを壊して、サンセリフ書体の使用や非対称の紙面構成や余白を広くとった緊張感のあるデザインで、それがめちゃくちゃカッコいいんです。第二次世界大戦後は、この合理主義的な思想が「スイス・スタイル」とか「インターナショナル・タイポグラフィック・スタイル」として世界中に広まりました。

「ノイエとはどういう意味なんですか?」と時たま聞かれるのですが、一般の人にこのような話をしても専門的すぎて理解されないので「ドイツ語で“新しい”という意味なんですよ。新しいデザインというなんの変哲もない名前です。」とか答えています。


忙しすぎてプチ鬱状態になる
「会社に行きたくない…」と思い、通勤途中の駅で降りて、駅前の川辺でボ〜ッとしてから仕方なくまた会社へ向かう。そんなことをしていても、一人なので仕事はストップするだけ。働きすぎてちょっとおかしくなっていました。

次第にクライアントの打ち合わせの来客や電話も増え、毎晩徹夜でいとこに迷惑がかかって申し訳ないので、フリーランスの友人と事務所をシェアしました。

赤坂のTBSの本社ビルのすぐ裏手の雑居ビルに友人と2人で部屋を借りてそれぞれのデザイン会社を経営。仕事を手伝い合いながら楽しくやっていました。話し相手ができたおかげでプチ鬱状態も改善しました。赤坂の繁華街がすぐ近くにあったけれど、一度も飲みに行っていなかった。仕事はあったけれどお金も時間もなかったし。でも充実していたなあ。この頃ホームページも独学でスキルを身につけて、案件も増えていきました。

独立する前に、5つの職場を転々としながら、大手から小さい民間会社の販売のためのデザイン、自治体の博物館などの展示デザイン、ロゴマークを中心に展開するブランディングデザインなど様々な経験をさせてもらって技能を身につけたおかげで、たいていの仕事はこなせるようになっていたことが良かったと思います。

勤め先の倒産などいろんな事があったけれども、今となってはそのおかげで今の僕があると確信します。その時にはわからないものだから、目の前に起こっていることに一喜一憂せずに、自分軸を持ってコツコツ頑張ることが大切だと思います。だから僕の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」なのです。自分の人生がそうだったし、今でもそうです。

恵比寿にあるシェアオフィスに
友人と赤坂に事務所をシェアしていましたが、その後別の知人とご縁があり、恵比寿にあるシェアオフィスに呼ばれました。すでに知人と他に2社の小さな会社が家賃をシェアしていました。僕は部屋の隅っこの一角に机をおかしていただき、デザインの仕事をしていました。

恵比寿では忙しいながらも、シェアオフィスの人たちと一緒によく恵比寿で飲みましたねえ。

相変わらず仕事はたくさんあり、もうワンオペは限界なので初めてスタッフを雇いました。デザインの専門学校を出たばかりの20代の女性に手伝っていただき、ようやく過労状態から脱出。もっと早く雇っていればよかったものの、お給料を払う責任の恐怖で雇うのが怖かったのです。その責任の重さはは現在も変わりません。

しばらくして彼女は彼氏さんとの子どもを妊娠しました。徹夜の多い仕事に妊婦さんを働かせるわけにはいかないので、残念ながら退社していただきましたが、現在ではこういうのもマタハラとか言われてしまうのでしょうね。

ということで、早急にデザイナーを探し、知人の紹介で面接をさせていただきました。その時に採用させていただいた方がなんと今もウチで働いてくれています!すでに25年以上在籍してくれて、僕の右腕です。本当に感謝しています。スタッフは宝です。いつもありがとう。

長らく続いたシェアオフィスから独立

その後ついに自分だけの城(事務所)を原宿の駅から徒歩5分のおしゃれなビルに借りました。デザイナーなら一度は原宿に事務所を設けたい。そういう時代でした。しかし原宿のおしゃれなお店や飲み屋さんが開いている時間に仕事が終わらず、たびたび不夜城に。原宿や青山にいるだけで、飲み会は忘年会しかない有様でした。

仕事の合間を抜け出して、陶芸教室に通ったり竹下通りを散歩したりシェアオフィスではないのでのびのびと過ごしていました。

スタッフのデザイナーの友人を紹介してもらい、スタッフが20代の女性2名になりました。やがて彼女は結婚して寿退社。僕も披露宴でスピーチさせてもらったりして、「一端の社長さん」体験もさせていただきました。

こんなダサいデザインでも売れるのか?
この頃マーケッターの神田昌典氏の「あなたの会社が90日で儲かる!」という本を読みましたが、そこにはデザイナーとして見過ごせないものがたくさん書かれていました。

その本はいわゆるダイレクトレスポンスマーケティングの手法で小さな会社の売り上げを爆増させるコンサル手法が書かれていたのです。
ショックだったのは、ノンデザイナーの中小企業の普通のおっさんが手書きのキッタないチラシを作っていたのですが、そんなものがめちゃめちゃ売り上げを作ったり、集客を成功させたりしているのです!

「え〜!こんなダサいデザインでも売れるのか?デザイナーいらないじゃん!」とショックを受けました。一体全体どういうことなのか??
その時にCI会社の社長に「デザインは経営のためにあるべきだ」と教えられたのを思い出しました。

「経営のため」とは?そもそも「経営」とは?を改めて深く考えるようになったのです。「自分は何のためにデザインをやっているのか?」クライアントさんはなぜ僕にデザインを発注してくれるのか?社長が本当に欲しいものは「綺麗なデザイン」ではなくて「売り上げ」。そんな当たり前なことをデザイン会社の経営をしてきてもピンときていなかったんですね。

「経営」を知るためには販売も組織論も社会も心理学もマーケティングや広告、営業も理解しないと「経営のため」のデザインはできない。デザインは川下の仕事です。もっと川上の部分から関わっていかなければ売り上げに貢献できるデザインはできないなと感じました。
美大卒のプライドやこれまでの経験で身につけた職人的なデザイン技能をちょっと脇に置き、「売れるためにはあえて垢抜けないデザインを作ることも辞さない」という新しい視点を得ました。

有限会社から株式会社に移行
有限会社から資本金1000万円に増資して株式会社に移行し、屋号も「株式会社ノイエデザイン」に。

その頃は会社法に無知だったため「有限」という言葉の響きがなんとも縁起が悪く感じており、信用力をつけるために株式会社にしたのでした。当時は株式会社に移行するのに1000万円が必要な時代で、かなり無理して頑張りました。

クリエイティブな空気の表参道に引っ越し
原宿のオフィスから、表参道の閑静な住宅地の中にある素敵な吹き抜けのあるオフィスに引っ越しました。クリエイティブな空気に満ちた表参道で働いているにもかかわらず、ここでもおしゃれなお店が閉店する頃に仕事が終わる毎日。

この年、リーマンショックで世界経済が大変なことに!友人知人のデザイナーは食えなくなり、廃業する人もたくさんいました。民間の広告デザインの仕事が激減する中、自治体の博物館の仕事が会社を支えてくれました。5つの会社を転職し、様々な経験をしていたおかげで食い繋ぎました。多能工(一人の従業員が複数の業務をこなせること)の強みを身につけることの大切さが身に沁みました。「人間万事塞翁が馬」です。

マーケティングの威力を身をもって体験

この頃に「企画塾」という塾に行き、マーケティングを学びました。
結構高額なスクールでしたが、勉強になりました。座学だけではなく、実際に3ヶ月で売り上げを出して来させるというかなり実践的な講座でした。マーケティング理論が書かれた分厚いファイルを渡されて、マーケティングの調査からコンセプトなどをワークシートを使って企画し、売り上げを上げるまでのプロセスを報告。最後に発表会を行い、審査員から講評されるというかなりハードな内容です。

ちょうどその頃に僕のあるクライアント様の売り上げが落ちたというのをお聞きしていました。そこの社員がお客さんをごっそりと持って独立してしまい、その分売り上げが30%もダウンしたのです。
そこでオーナーさんにお願いして、今回のマーケティングを学ぶ課題に協力していただきました。結果は新規顧客の集客に昨対比183%の数字を出したのです!その後、このクライアント様は順調にお客様を増やしていきました。

マーケティングの威力を身をもって体験したので、これからはマーケティングをきちんと間研究していこうと決めました。

ちなみにこの時の講師陣の方にはその後もお世話になっており、セミナーの講師をご依頼していただいたり、現在でも毎年、佃島のもんじゃ焼きの店でみんなで一緒に楽しく飲んでいます。

ダイレクトレスポンスマーケティングの世界的権威との出会い
東日本大震災の影響でさらに景気は悪化。デザイン業界も吹雪の世界です。高い家賃と人件費を抱えて会社の経営者としてかなり厳しい時期でした。嵐が過ぎるのをじっと耐えて待つのか、新しいことを始めるのか、新しいことって何なのか?家のローンもまだあるし。新しく雇用したデザイナーも思うように仕事ができないし。資金繰りも「この財務状態ではお金は貸せません」と断られる始末。などなどストレスいっぱいで、輝かしい表参道のイメージとは裏腹に、この頃は暗い思いで過ごしていました。

この頃アメリカの経営コンサルタントのジェイ・エイブラハムの「ハイパワー・マーケティング 」という本を読みました。彼はダイレクトレスポンスマーケティングの世界的権威とのことで、その後彼の来日セミナーにもいきました。3日間で数十万円もしたんです。お金も潤沢にない中、高額を支払うのは怖かったけれども、これは投資だと思って貯金を崩してセミナーに参加しました。これは勉強になりました。日本に来日するたびにその後も4回くらいセミナーに通いました。ジェイ・エイブラハムの勉強会にも参加して、かなり投資しましたが、おかげで今の仕事に生かされています。

オフィスを表参道から半蔵門へ引っ越し
リーマンショックや東北の震災による不況が続く中、法人化して15年間、独立して18年、なんとか続けてこられたのは、ひとえにクライアント様とスタッフ、そして家族のおかげです。

この年、オフィスを表参道から半蔵門へ引っ越しました。 表参道の家賃が高かったことと、「カッコいいデザイン」から脱却して経営戦略としてのデザインに完全にシフトしていくことを決め、ビジネスの香りがする半蔵門のオフィス街の雑居ビルに移ったのです。ここら辺は素敵なお店も洒落た飲み屋など全然なくて、お昼時にはビジネスパーソンが立ち食い蕎麦屋に並んでいるような街でした。雑居ビルの1階にあった立ち食い蕎麦屋にはお世話になりました。このビルは大学を卒業して初めてデザイナーとして社会に出た最初のデザイン制作会社がすぐそばにありましたので、デザイナーになりたての頃を思い出しながら街を歩いていました。


会社名から「デザイン」の文字を取る

会社の屋号を「株式会社ノイエデザイン」から「株式会社ノイエ」に変更しました。

会社名から「デザイン」の文字を取ってしまったのです。今後はデザインを作る会社ではなく、デザインを活用して経営を伸ばす会社というコンサルティング会社という立ち位置に変えたのです。しかしやっていることは創業当時からあまり変わっていません。

クライアントに対して売り上げを上げるための経営戦略やマーケティング戦略的な話をしても、会社名に「デザイン」の文字があることによって、クライアントからは「あなたはデザイナーのくせに経営の話などするのか?」と、あまりこちらの話を聞いてくれないことを感じていました。僕はデザイナーとしての専門家ですが、そもそも何のためのデザインなのか、なぜこのデザインなのか、を訴求するためには経営の話は避けて通れないのです。経営のためのでザインなのですから。

かつてAppleは「アップルコンピューター」という会社でしたが2007年に「コンピューター」の文字を取ってしまいました。コンピューターを販売するだけの会社ではなく、iPodやiPhoneなどのリリースで総合的なコンシューマー向けエレクトロニクス企業へと大きく進化させる意向があったという話を聞いて、共感したのです。うちの会社もデザインを作って納品するのが目的ではなく、デザインの力を活用して事業の経営課題を解決することを目的とする会社にしたいと考えたのです。しかし行ってきたことは変わりません。立ち位置をわかりやすいように変えたまでのことです。

半蔵門のオフィスから永田町のオフィスに
この時に半蔵門のオフィスから永田町のオフィスに移りました。半蔵門のオーナーさんが夜中に合鍵で部屋に入ってきたりして、社員の安全とストレス回避のために引っ越しせざるを得ませんでした。

現在のオフィスへの引っ越しを機にデザイナーを募集しました。多額の広告費をかけ面接を重ねてもなかなか良い人が見つからず難航していましたが、ある時ホームページから1人の女性が応募してきました。求人条件は経験3年以上でしたが、彼女は通信教育と経験1年程度でした。しかし、自己PRと志望動機が非常に長文で心を掴まれたのです。
「誰かの役に立ちたい。自分の仕事が誰かを助け、必要とされるループで社会と関われたら幸せです。そのための努力は続けます。」
弊社でデザインとマーケティングを学びたいと丁寧に書かれていました。

スキルも大切ですが、どんな理由で仕事をしたいのかというデザイナーとしての想いが僕と同じ方向を向いており、これまでの面接者にはない運命を感じて採用に至りました。

現在、彼女はうちの立派なデザイナーとして活躍しています。彼女には結構厳しくしてしまうのですが、折れずに頑張ってくれています。現場の叩き上げで実践的なスキルを身に付け、僕が苦手とする細かい作業や繊細な感性で仕事をこなしてくれて、本当に助かっており感謝しています。

そしてこの年、経済産業省と特許庁から「デザイン経営」宣言が公開されました。

デザインを活用してブランディング力とイノベーション力を向上させて競争力をつける、という趣旨のこのレポートは、僕がすでに20年以上も前から述べているし、もっと言えばCI会社の社長から教えていただいていたことなので、「何を今更」という感じで見ていました。とはいえ、やっと国がこういうことを言うようになったなと期待に胸を膨らましてもいたのです。

しかしそれはやがて来るパンデミックの騒動の中でフェードアウトしていきました。

パンデミック状態で経済が止まる
1月に日本国内で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認。4月には政府が初めての「緊急事態宣言」を発令。やがて世界中がパンデミック状態に。まるでSF映画のような世界が現実となりました。

人と会うことができずに飲食店や鍼灸師などの治療家やセミナー講師のビジネスは大きな打撃を受けました。うちのクライアントさんにも鍼灸師さんがいましたので大変でした。このパンデミックによって働き方もオンラインが当たり前になり、都心に住む必要もなくなり、買い物は通販が激増し、などなどビジネスも暮らしも様々な社会の価値観が大きく変わりましたね。

デザイン業界も大きく変化しました。WebデザインやECサイト関連が伸びて、Webデザイナーになって稼ごう!みたいなオンラインスクールもたくさん出てきました。そのためインスタントなデザイナーが量産されてしまっています。クラウドソーシングの大手も株式上場するなどで、デザインが身近にはなったけれども、デザインの品質が下がり、デザインの価格も下がってしまうというとんでもない状態になっています。一方で、ZOOMのおかげで市場が全国に広がる機会にもなりました。

生成AIの誕生でデザイン業界に革命的変化
2022年 11月のChatGPTの登場は世界中に「生成AIブーム」を巻き起こし、テクノロジー業界やビジネスのあり方を大きく変えるきっかけとなりました。

デザイナーにとって最大の変化が、生成AIがデザインを簡単に作ってしまうということ。それもなかなかの品質で。ぶっちゃけ駆け出しデザイナーさんが作るデザインよりも良いものを安く早く作ってしまう。

いままで様々な不況や災害がありましたが、それらとは次元が違う、デザイン業界にとって革命的な大きな脅威です。Macが登場してきた時には版下屋さんや写植屋さんが消えました。ペーパーセメントもスプレー糊も消えました。でもMacの登場はデザイナーにとっては朗報だと言えたでしょう。仕事が効率的になって、品質も上がったのですから。

今後はデザイナーはAIをどのように活かしていけるのか、深く考える必要がありますね。

これからのデザイナーに必要なこと

ChatGPTの登場からあっという間に4年が経ちました。その間、ClaudやGeminiをはじめ様々な種類のAIが登場して毎週のように新しいアップデートが繰り返されています。

Webデザイナーになって稼ごう!みたいなことを言っているスクールを出ても稼げる人は一握り。しかしこれからは、今はAIがあっという間にWebを作ってくれるので、何十万円も払って習ったことはあまり意味をなさなくなってしまいます。たった3ヶ月で稼げるデザイナーになれるわけないしね。

これからのデザイナーは「綺麗なデザインができます」だけでは時間もコストもAIには敵いません。デザインという手段を使っていかに企業の経営課題を解決できるのか、そのためのデザインはどうするべきなのか。それを作り手がわかっていなければ、役に立たない”綺麗なゴミ”が量産されてしまう恐ろしい未来が想像ができます。

今後はデザイナーに外注しなくても、会社内の若い社員さんがAIを使ってデザインの内製化を図ることになるでしょう。その社員さんがデザインセンスがなくても自社のブランディングや自社のお客様やメッセージをきちんと認識しているのであれば「売れるデザイン」を作るのが可能になります。外部のただ綺麗なデザインを作る人に外注するよりはましなデザインを作れてしまうのです。

新しい時代がすでにやって来ていることにまだ不安な部分もありますが、「人間万事塞翁が馬」です。
どうぞよろしくお願いいたします。

賞歴・年鑑掲載

1990年
日本POP広告協会展「POPAl JAPANSHOW」入選
1991年
日本歯磨き工業会主催Clコンクール 優秀賞
1992年
資料マークシンボルロゴタイプ(グラフィック社)掲載
1994年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
1997年
日本タイポグラフィー年鑑 入選
1997年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
1998年
「時代を生きる文字たち」展(電通ギャラリー)作品掲載
1999年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
2000年
日本デザイン書道名鑑2000(アートバンク)掲載
2002年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
2004年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
ブランディングデザイン(グラフィック社)掲載
2005年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
ブランディングデザイン2(グラフィック社)掲載
2006年
タイポグラフィデザイナーズ2006(ART BOX社)
日経BP社Webサイト、コラム連載
「エンジニアのための視覚伝達デザインの法則」(4〜11月)
「経営者のための視覚伝達デザインの鉄則」(11月〜2008年)
2010年
Logo Talks Ⅱ 掲載
Artpower International Publishing Co.,Ltd(香港)
2010年
日本のロゴ&マーク集掲載 Vol.1
美術出版社

メディア紹介

  • 日経デザイン
  • 日経SYSTEMS
  • 経済界
  • 企業診断
  • デーリー東北

などに紹介されました。詳しくはこちら >>

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