代表者について

熊谷 淳一

こんにちは。代表の熊谷淳一と申します。
ここでは私の自己紹介をさせていただいております。
初めてデザインを発注していただく方に対して、この会社の代表がどんな人物なのか少しでも知っていただき、親近感を持っていただければ今後もお話しやすいと思いました。同時に弊社への評価の参考にしていただき、安心感を感じられ、信頼を築いていただくことができれば嬉しく思います。
私のブログ『中小企業の経営とデザイン』もご覧ください。
よろしくお願いいたします。

プロフィール

アートディレクター、販促コンサルタント
多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。

【ビジネスの販売支援事業】
中小企業の経営者、個人事業者に向けてブランディング、販促ツール、ホームページ等販売促進に広く関わりマーケティングを駆使した「売れるデザイン」を提供し売上向上のご支援をしています。

これまで創業して20年以上に渡り、大企業から、中小企業、個人事業や自治体の様々な業種において、約4000件以上の販売促進のためのデザインや広告、展示、サインブランディングデザインなどを手掛け、成果をあげてきました。

【講師、セミナー活動】
15年以上に渡り全国の商工会議所、自治体や大学のご依頼で個人事業者や起業家を対象にデザイン講座や経営相談、起業・副業のご支援を行っており都度行われる講師やアドバイザーのアンケート評価では常に満足度9割超を得ています。親切丁寧でわかりやすい講義に定評があります。

血液型
A型ですが几帳面ではないといわれます。
星 座
いて座ですので大胆といわれます。
性 格
温厚、明朗、短気、楽天家
趣 味
書、陶芸
好 物
お酒、やきとり、しいたけ、すし、カレー
座右の銘
人間万事塞翁が馬

さらにパーソナルな事をお知りになりたい方はこちらへどうぞ >>

所属団体・資格

セミナー・講演

中小企業の経営者や個人事業主を対象に、デザインやマーケティング等のセミナーを行っています。自治体の産業振興課、中小企業振興公社、商工会議所などでは、中小企業が業績を伸ばすためにマーケティングやデザインのお話をさせていただいております。

起業家の支援にも力を入れており、品川区立武蔵小山創業支援センターや日本最大級の起業家支援ポータルサイト「ドリームゲート」のアドバイザーに登録し、起業家のためのセミナーや経営の相談を行なっています。

民間企業の社員研修では、ビジネスにおけるデザインの活用の仕方や社内デザイナーの技能研修などを行っています。

全国の博物館や美術館の学芸員を対象として、集客のためのチラシの作り方や展示パネルのデザインに関しての研修を行っています。

また、日本最大級の学びのコミュニティサイト「ストリートアカデミー」で オンラインレッスンを行い、集客や売上を伸ばすために役立つマーケティングやデザインスキルなど実践的な講座を提供しています。

 

中小企業、個人の経営者様向けのセミナー・講演

  • 板橋区+北区+東京都産技研合同主催 「中小企業のための売れるブランド作り」
  • 武蔵野商工会議所 「中小企業はデザインで伸びる!」
  • 大阪産業創造館 「【販促力UPセミナー】<実践編>商品の良さを伝える 販促ツールの作り方」
  • 千葉県産業振興課 『戦略的デザイン活用塾』「デザインでビジネスの成長を加速させる」
  • 群馬県 産業経済部主催 『平成30年度群馬県デザイン講座』「中小企業のためのデザイン活用術 ~商品の良さを伝える販促ツールの作り方~」
  • 青森県、八戸地域地場産業振興センター 『商品やサービスを売るためのしくみ「良さそう」の法則』

起業家様向けのセミナー・講演

  • 国立大学法人 弘前大学、青森経済同友会 『弘大じょっぱり起業家塾』「マーケティング志向の事業計画」
  • 東京都産業技術研究センター主催「販売促進企画講座」8ヶ月間の講座
  • 品川区立 武蔵小山創業支援センター 「起業する時に必要なのは“おもてなしの心”としてのデザイン」
  • 品川区立 武蔵小山創業支援センター 『ムサコ起業いろは宿(実践編)』「顧客が獲得できるホームページの作り方/営業ツール(チラシ・パンフレット)の作り方」

デザイナー向けのセミナー・講演

  • 東京都産業技術研究センター主催「マーケティングデザイナー養成講座」8ヶ月間の講座
  • 東京都産業技術研究センター主催主催「マーケティング実践講座」8ヶ月間の講座
  • 企業内デザイナー対象の企業研修「売れるデザインを作るために」
  • 東京都立産業技術研究センター主催「デザイナーのためのコンサルティングの基礎」講座
  •  

民間企業の社員研修

  • 株式会社富士通マーケティング社員研修 「伝わる企画書のデザイン」
  • バンダイナムコ、バンプレスト社員研修 「商品の魅力を伝える販促ツールの作り方」
  • 日本石鹸洗剤工業組合 「マーケティング戦略における差別化要素」

学芸員様向けの講演・研修

  • パナソニック電工汐留ミュージアム 学芸員照明研究会 「美術館展示パネルの可視性、可読性〜良い展示パネルの条件」
  • 南山大学人類学博物館 文部科学省 オープン・リサーチ・センター整備事業 「ミュージアムのコミュニケーションデザイン」
  • 九州産業大学 学芸員技術研修会 「展示グラフィックと集客ツール」

この他にもセミナーや講演をたくさん行なっております。

著書・コラム執筆

講談社「博物館展示論」(共著)

博物館展示論

「展示グラフィック」と「広報のためのデザイン」の章を担当。

学芸員を目指す人のためのコンパクトなカラーテキスト。博物館・美術館における展示の基本を学べるだけでなく、現場で活かすことができる実践的な技術を多数紹介。
(アマゾンのサイトより抜粋)

日経BP社の日経クロステック 連載コラム

[コラム]経営を伸ばす視覚伝達デザインの鉄則・エンジニアのための視覚伝達デザインの法則

日経BP社のIT情報サイト日経クロステック(旧 ITpro)に掲載された連載コラムです。経営におけるデザインの価値を経営者に向けてわかりやすく解説した連載記事です。
(バナーをクリックすると記事のインデックスに飛びます)

略歴

 
東京都に生まれる。
小さい頃から絵を描くことや工作が好きで、東京都立町田高校では美術部に所属。

全盛期だった池袋西武百貨店が通学路にあったので、いつも寄り道して、アートディレクターの田中一光 のセゾングループのポスター、広告、インテリア、サインなど様々なデザインやアートディレクションに刺激を受け、デザイナーの道を志す。

高校を卒業し、美術大学を受けるも受験失敗。浪人となり、1年間予備校(すいどーばた美術学院)へ通う。
多摩美術大学 美術学部 グラフィックデザイン学科 入学。

貧乏な美大生で課題に追われつつ、実家でのんびり暮らす。学生時代は目立つこともなく、3年生からのゼミは書ゼミと写真を専攻。サークルは広告研究会。折しも広告ブームで西武百貨店やサントリーの黄金時代。学園祭のために、夜遅くまで友人の家に泊まり込みで8ミリカメラを回してCMを撮影していたり、新聞広告を作ったりしていました。

株式会社創美企画 入社。(現在はADKインターナショナルに吸収合併)
パイオニア、テルモ、力シオ、富士フイルム、他など大手企業の広告、SPツールの制作に携わる。

社会のこともリアルに感じておらず、就職してもぬくぬくと何も知らないで暮らす、無知な若者だった。この会社の先輩や仲間は皆すばらしかった。勉強になりました。若いデザイナーの部下もついて、デザインをチームとして制作していくことを学びました。大企業の本社に伺い、クライアントと打ち合わせをしたり、刺激的な事ばかりの毎日でした。夜は徹夜してよく会社に泊まりました。床に段ボールを敷いて、梱包材のビニールのプチプチに毛布がわりにくるまって朝まで仮眠とか、今ではブラック企業と言われるのかもしれませんが、全然辛くなかったし、楽しい思い出です。でも4年近くも同じ会社にいると仕事も覚えてしまい、新しい世界に行きたくなるのです。

花王株式会社のデザイン制作部に転職。
エコナ、バブ、サニーナ、ソフィーナ、サクセスなどの担当につき、SP、POP、プレミアムキヤンペーン広告を中心に制作に携わる。

花王のインハウスデザイナーとして転職しました。花王はやっぱり超一流の企業でした。本当に皆さん優秀で、いやな人やだめな人は周りにいなかった。マーケティングに力を入れている企業で、商品開発や販促活動の数字を定例会で説明をうけるも、その頃のぼくはまったく理解がなく、自分と関係ないとさえ感じていました。パッケージデザイン の部署やマス広告の部署の人たち、外部のデザイナーとの交流も刺激になったし、クライアントとしての立場や視点で外部の制作協力会社、印刷会社など、多くの人と接することも勉強になりました。
仕事は楽しかったけれども、しかし大企業ならではの企業の歯車の一部的といいますか、花王のデザインは誰がやっても花王のデザインでなくてはならないというマーケティングに基づく掟があり、この仕事は自分でなくても良いのではないかというような、ある虚しさを覚え、またまた新しい世界へ。

 
株式会社コーポレートデザイン研究所に転職。
企業のClシステム、Vlシステム、会社案内、SPツールなどの制作に携わる。しかしバブル崩壊で2年後に倒産!

この小さな8人ほどのCI会社の社長に「デザインは経営のためにあるべきだ」と教えられる。大学でも、大企業でも教わらなかった。目から鱗。それまで自分はデザインは「好きだから」やっていただけということに気がつく。この会社で初めてデザインの本質を教わった気がします。
デザイナーは僕を含めて4人。同い年のディレクターと若い女性デザイナー(23〜24くらいだったかな)社長は40代後半の若い会社だったけれど、この会社で初めて「企業の経営」を意識することになりました。それまでは華やかに見えていたデザインというものが急に重みを持ち、一体何のために自分はデザインをするのか、という問を突きつけられました。
折しも、バブル崩壊の影響で世の中は大不況。CIブームの過ぎ去り、この小さな会社も傾き倒産の羽目に。社長からは「もう給料を出せないけれど、しばらくは失業保険をもらいながら働いて欲しい」と涙ながらに言われました。しかし、それはルール違反です。転職しても良かったけれど、もう少しCIの勉強がしたいという思いの方が強く、給料も失業保険も使わずに後数ヶ月仕事をさせてもらいました。

 
有限会社クリップデザインに転職。
博物館や展示、サインの仕事に携わる。しかし長引く不況の中、2年でここも倒産!

経営のためのデザイン。それは理解していたけれど、世の中が不況になると企業はデザインにお金を使わなくなります。大学を卒業してから企業の利益を伸ばすために出会いんを作ってきましたが、自分のデザインの技能や知識を企業の利益の追求のために使っていくことに、なんとなく疑問も持ち始めていました。一方で公共や社会、教育のために自分の能力を使いたい。その方が世のため、人のためになるのではないかと思い、商業デザインから、アカデミックな博物館や、公共サインのデザインの会社へ転職しました。無給で働くことにも、もう限界でしたし。博物館の展示デザインや公共のサインデザインは今までやってきた物と全く違う。一から勉強し直しました。
この会社ではかなりめちゃくちゃブラックな働き方をしてました。徹夜は当たり前で、風呂に入るために家に帰るような生活。若かったからできたのですねえ。この会社でも、不況の波は襲ってきました。僕は倒産しそうだと感じた時点で、見切りをつけて転職活動を行い、さっさと会社を離れました。残ったメンバーは結局給料を払ってもらえず、社長の家まで押し掛け、阿鼻叫喚の様だったそうです。

株式会社エクサスに転職。
大型量販店の店舗デザイン、ビジュアルアイデンティティ、サインシステム、販促ツールなど店舖に関わるグラフイックデザイン全般の制作に携わる。

この会社の社長は数年後にインサイダー取引を行い、逮捕され、解散になりました。経営のためのデザインはCIの考え方が中心になると考えて店舗のスペースとグラフィックを総合的に行うデザイン会社に転職。やり手の社長の右腕になりたい、という思いもあり、会社への不満は特になかったけれど、なんとなくこの社長の人柄が好きになれず、たったの9ヶ月間在籍したころに突如独立の想いが去来しました。なぜそう思ったのか、自分でもよくわかりません。神様のお告げのように想いが去来したとしか言いようがないのです。妻のお腹の中には赤ちゃんがいたし、周囲の不安をよそにバブルの崩壊で失われた10年の真ん中、ど不況の中で1995年に独立しました。
最初は倒産したクリップデザインでお世話になったクライアント様から仕事をいただき、スタートを切りました。クリップデザインから机をもらってきて、自宅の部屋で発売されたばかりの高額なPowerMacを購入し仕事を始めました。

1996年
いとこが経営する会社の片隅に机と電話を置かせていただき、居候のようにして仕事をする。

一人でデザインして、見積り作って、切手を買って来て、掃除して、企画して…。何もかも一人でやっていたので深夜遅くまで仕事して、休日もほとんどなかった。
産まれたばかりの子どもの顔を見る事も少なく、赤ん坊の時の記憶は写真のイメージしかないので、とても悲しい。

1998年
個人事業から法人化。忙しすぎて休みが取れずプチ鬱病状態になる。

次第に忙しくなり、いとこに迷惑がかかって申し訳ないので、友人と赤坂に事務所をシェアしました。

2001年
スタッフを雇って鬱から脱出。スタッフは宝です。いつもありがとう。

友人と事務所をシェアしていましたが、その後別の知人と恵比寿にオフィスをシェアして、さらにその後ついに自分だけの城(事務所)を原宿の駅前に借りました。しかしたびたび不夜城に。

2006年
有限会社から資本金1000万円に増資して株式会社に移行する。

その頃は会社法に無知だったため「有限」という言葉の響きがなんとも縁起が悪く感じており、信用力をつけるために株式会社に。当時は1000万円が必要な時代で、かなり無理して頑張りました。

2008年
法人化して10周年。

原宿の狭いオフィスから、表参道の閑静な住宅地の中にあるオフィスに引っ越しました。クリエイティブな空気に満ちた表参道で働いているにもかかわらず、おしゃれなお店が閉店する頃に仕事が終わる毎日。あまり恩恵を受ける事がないまま、この年、リーマンショックで世界経済が大変なことに!

2013年
法人化して15周年! 15年かあ…(しみじみ…)

リーマンショックや東北の震災による不況が続く中、法人化して15年間、独立して18年、なんとか続けてこられたのは、ひとえにクライアント様とスタッフ、そして家族のおかげです。
オフィスを表参道からビジネスの香りがする半蔵門へ引っ越しました。

2016年6月
会社の屋号を「ノイエデザイン」から「ノイエ」に変更

ノイエデザインという会社名から「デザイン」の文字を取ってしまいました。デザインを作る会社ではなく、デザインを活用して経営を伸ばす会社という立ち位置に変えたのです。しかしやっていることはあまり変わっていません。
半蔵門のオフィスから徒歩8分の永田町のオフィスに引っ越しました。

2018年
創立20周年を迎えました。

あっという間に20年。ただただ周りの皆様に感謝です。そして20年の経験があるというそれなりの実力と責任というプレッシャーも感じながら、次の新しい世界に挑戦していきたいと思っています。

社会に出て様々な方と出会うことができ本当に感謝しています。バブルの崩壊で会社員時代に何度も倒産の憂き目に合い、転職を繰り返したことで、広告・販促、展示グラフィック、ブランディングなどの経験を積むことができ、現在いろいろと役に立っており、今となってはとても良かったと感じています。しかし、独立してからの方が勉強しなくてはならないことがたくさんあることに、遅まきながら初めて気がつき、日々勉強の毎日です。今までの経験を生かし一人でも多くのお客様のために貢献していきたいと思います。
こんな私ですが、なにとぞ、よろしくお願いいたします。m(__)m

賞歴・年鑑掲載

1990年
日本POP広告協会展「POPAl JAPANSHOW」入選
1991年
日本歯磨き工業会主催Clコンクール 優秀賞
1992年
資料マークシンボルロゴタイプ(グラフィック社)掲載
1994年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
1997年
日本タイポグラフィー年鑑 入選
1997年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
1998年
「時代を生きる文字たち」展(電通ギャラリー)作品掲載
1999年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
2000年
日本デザイン書道名鑑2000(アートバンク)掲載
2002年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
2004年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
ブランディングデザイン(グラフィック社)掲載
2005年
資料マークシンボルロゴタイプ掲載
ブランディングデザイン2(グラフィック社)掲載
2006年
タイポグラフィデザイナーズ2006(ART BOX社)
日経BP社Webサイト、コラム連載
「エンジニアのための視覚伝達デザインの法則」(4〜11月)
「経営者のための視覚伝達デザインの鉄則」(11月〜2008年)
2010年
Logo Talks Ⅱ 掲載
Artpower International Publishing Co.,Ltd(香港)
2010年
日本のロゴ&マーク集掲載 Vol.1
美術出版社

メディア紹介

  • 日経デザイン
  • 日経SYSTEMS
  • 経済界
  • 企業診断
  • デーリー東北

などに紹介されました。詳しくはこちら >>

タイトルとURLをコピーしました