社長ブログ:クマデ総研

東北の震災

大地震からひと月たちます。まだ信じられません。
僕の両親の実家は宮城県、東松島市です。両親の親戚はほとんど宮城県にいるのです。近しい僕のおばさんやいとこ達は無事が確認されましたが、ちょっと遠い親戚の人達はまだ安否がわかっていません。子どもの頃、毎年夏休みには家族で東松島に帰省しました。くの字に折れ曲がって脱線してしまった仙石線にのって海のすぐ近くの祖父と祖母の家に行くのが楽しみでした。両親の実家は道をはさんで向かい同士だったので、両親の実家に交互に泊まり歩いていました。子供会のイベントに加わって遊んだり、虫取りに行ったり、畑で花火をしたり、たくさんの思い出がある場所なのです。今では、グーグルマップを見ると、津波で何にも残っていない。
去年の夏に仕事で仙台の若松町へ行ったんです。その足で、仙石線に乗って十年ぶりくらいに父の実家に突然伺っいました。どうしても、ご先祖様のお墓参りがしたい。その出張の数日前からご先祖様のことが頭にちらちら浮かぶのです。その時は何としてでも両親の実家に顔を出したいという気持ちで、仙台の広い駅を仙石線のホームを探し回って走って電車に飛び乗ったのでした。久々に田舎の道を歩いていたら小学校の生徒達が何人も、見知らぬおじさんである僕に向かって「こんにちは!」と挨拶してくれました。彼らは無事だったろうか。結局その日はお墓にいけず、おばさんと3時間くらいお話をして帰ってきた。昔のアルバムを見せてもらい、祖父と祖母の写真、そして若かった頃の父や父の兄弟の写真、ひいおじいさんの写真などを見せてもらって、iphoneで片っ端から複写してきました。若かった父が祖父に送ったのであろう、僕と妹がまだ小学生だった頃のモノクロの写真もアルバムに大切に貼ってあったのを見て、胸が熱くなりました。
それから半年後に、この津波。虫の知らせだったのか、あのとき行ってきて良かったと思います。
グーグルアースで、震災前と震災後の写真を見比べることができます。見ていると悲しくなる。しかし、僕の憂いなんか取るに足らないんだろうな。被災地で不自由な暮らしをしている人達や、無念のうちに亡くなた方達、家族を亡くした人達は本当に辛いだろう。
こういう事を書いているだけでもなんとも空々しい気がしてしまいます。安全な場所で快適な場所で「がんばってください」なんて言うことが、なんとも抵抗を感じてしまうのですよね。だからこの震災のことはひと月以上時間がたたないと書けなかったし、ホームページに震災のお悔やみの言葉も載せられない気持ちなのです。
一日も早い復旧と、心の平安を願うばかりです。

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