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人間万事塞翁が馬 その1

私の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」です。
これは中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」にある、故事成語です。
中国の北の方に城塞があった。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境の城塞には「翁(おきな)=老人」が住んでいた。ある日城塞の老人(塞翁)が飼っていた馬が逃げてしまったので、人々が慰めに行くと、塞翁は「これは幸いになるだろう」と言った。
数ヵ月後、逃げた馬は立派な駿馬を連れて帰ってきたので、人々がお祝いに行くと、塞翁は「これは災いになるだろう」と言った。
塞翁の息子が駿馬に乗って遊んでいたら、落馬して足の骨を折ってしまったので、人々がお見舞いに行くと、塞翁は「これは幸いになるだろう」と言った。
一年後、隣国との戦乱が起こり、若者たちはほとんど戦死したが、塞翁の息子は足を骨折しているため兵役を免れて命が助かった。
という内容で、つまりは「まったく禍福というのは予測できないものである。」という意味です。
私が好きなのは、この老人の平常心です。この時代の人にとっての馬というのは無くてはならない相当価値のある物ですが、それを突然理由もわからず失ってしまい、村の人たちがわざわざ慰めに来てくれるほどの不幸に見舞われても、「これは幸いになるだろう」と言い放ちます。原文は「此何遽不為福乎」で、此れ何遽(なんぞ)福(さいわ)いと為(な) らざらんやと。 =「これがどうして福とならないと言えようか」という強い言い方をしています。ここで、老十は悲観したり、自暴自棄になったり、鬱になったり、社会や他人を恨んだりはしていません。「これは幸いになる」という確信を持って生活しているのです。
 次に、その馬が優秀な馬を引き連れて戻ってきます。村人達がやんやとお祝いに来てくれますが、ここで老人は「此何遽不為禍乎」=「これがどうして災難とならないと言えようか」と確信を持った言葉を放ちます。突然の大幸運に浮き足だったり、おごったり、油断したりしていません。結局、話は最愛の息子は戦争で命を落とすことはなかったというハッピーエンドになりますが、しかしこの老人はそのことさえも、「これは災いになるだろう」と自分を戒めるのでしょう。原文では、「近塞之人、死者十九」=塞に近きの人、死する者十に九、とあります。近所の人は90%死んでしまったということですから、周りから疎まれたり、憎まれたりするのは人の世です。ウキウキ暮らしていくことを慎み、賢く暮らしていくのでしょう。
最後に原文では「故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也」=故に福(さいわ)いの禍(わざわ)いと為(な)り、禍いの福いと為る、化極むべからず、深きこと測るべからざるなり。とあります。福は禍となり、禍は福となるという変化は深淵で、見極める事はできないということです。
何があっても、絶望して思考停止になったり、のぼせて浮き足だったりしないこの老人の平常心はどこから来るのでしょうか。
(長くなるので明日へ続きます)

経営
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熊谷淳一

熊谷淳一

株式会社ノイエ 代表取締役。デザインで経営を伸ばす経営コンサルタント・クリエイティブディレクター。デザインは第5の経営資源としてデザイン経営とマーケティングの研究にいそしむ。 お酒、書と陶芸が好き。 尊敬する人は岡本太郎。
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