僕が一番尊敬するデザイナーの田中一光の生誕90周年ということで奈良県立美術館で特別展を開催していたので、観に行ってきました。
http://www.pref.nara.jp/11842.htm(ここでは気持ちとしては田中一光先生と書きたいのですが、読みやすいように敬称を略させていただきます。)
最近の若いデザイナーは田中一光の名前を知らない人が多いらしい。2002年に亡くなられて、もう18年も経っているのだから無理もないかも。しかし日本を代表する巨匠なので、単に勉強不足なのか、グラフィックデザイン業界が衰退しているのか謎です。
今はデザイナーといえば、グラフィックデザイナーではなく、UIデザイナーやゲームデザイナーが主流で、僕が所属している日本グラフィックデザイナー協会もものすごい勢いで、会員が減少しているらしい。それはさておき。
僕は田中一光のほとんどの作品はもう知っているし、作品集も何冊も持っている。サイン本まで持っているし何度も展覧会を見に行った。随分昔だけど銀座グラフィックギャラリーのパーティに行って、本人にも会った。いいえ、話しかけるなんて恐れ多くて憧れの眼差しで遠くから見ていたというのが正しい。
学生の頃は通学に池袋を使っていた。80年代のその頃の西武百貨店の広告は輝いていた。そのクリエイティブディレクターが田中一光で、様々なデザイナーやアーティストを起用してポスターや広告があちこちに展開していた。
学校の帰りに西武百貨店に道草して西武美術館のポスターやセゾングループのグラフィックを毎日目にしてワクワクしていたものだ。
僕が所属していたタイポグラフィ協会では一番弟子の太田徹也さんとも親しくさせていただいて田中一光の話を時折してくださった。今回の生誕90年の特別展でトークセッションが3月に行われるとのことで、僕も聞きに行きたかったなあ。それはともかく。
今回の展示は5つの展示室全部に作品点数は271点のボリュームで、大変見ごたえがありました。大きな回顧展はほとんど行っているのですが、かなり至近距離で見ることができたので、紙やインクの質感やシルクスクリーンの色の重なりまでも見分ける事ができました。やはりポスターは現物を見なければその本当のデザインの良さがわからない、と言うことを改めて感じました。
画集では何度も見ているはずのなじみのデザインが、実は何も見えていなかった。
まずは印刷のテクスチャが違う。見る位置によって色が変化する。インクの光沢や紙の質感によって色が変わるのだ。特に金や銀などの金属系のインクは光の反射が変化して著しく色調が変化する。その時のレイアウトや配色の効果が美しく見えるようにデザイナーは計算していることがわかる。
例えば産経観世能のポスターを至近距離で見たが、右のこめかみと、目と目の間の明るい黄色の部分が実は金色だったとは初めて知った。
上部のおでこの部分は銅褐色の金属色で、鈍い光沢を放ちながら眉間の鮮やかな黄金色がアクセントとしてピカーッと輝いている。
日本の屏風のようなあでやかでかつ幽玄さを感じさせるデザインだった。
15センチほどの印刷された画集の画像を見てもこのポスターのシズル感は決して伝わらない。
また「水、山、風」の作品は黒いラインの部分が、厚みのある漆のような光沢を持った印刷で、背景の網点を荒くした空間と、濃密な太いラインとの差がなんとも力強く、感動した。インクの光沢や厚みを持たせた技法などは平面の画集では表現できない。このポスターの前で、光の反射の変化を見るために立ったりしゃがんだりを繰り返して見入っている僕の姿はおそらく奇異な様子だったに違いない。(笑)
オフセット印刷の色の再現性ももちろん画集と実物では全く違う。鹿のポスターは画集ごとに全部色が違ってしまう。本物を見てびっくり。鹿のお尻の部分の色は銅褐色の金属色で鈍く光を反射しており、足に行くに従いマットな焦げ茶色に色が変化していく。色の明度と彩度の変化に加えて、輝きが反射からマットへと移り変わるグラデーションには感動した。シルクスクリーン印刷ならではの表現だ。ああ、本当はこういったデザインだったのだなと初めて観た気がした。
そして大きさである。サイズが大きいと目の前にした時にやはり迫力が違う。ポスターが気を放っている。
僕は絵画や博物館の仕事をしているが、やはり本物を見るという「体験」をするための施設がミュージアムならではの特徴だと思っている。ポスターも印刷物ではあるけれども全く同じだし、そもそもシルクスクリーンは版画の一種だから、美術品と同じですね。
サイズが大きいとタイポグラフィーの力が倍増する。非常に細かい部分がちゃんと細かく見えるし、大きい部分は迫力を持って感じられる。画集の小さな印刷物が安いイヤホンで聴く音楽だとすれば、実物大のポスターは生演奏であるように、視覚のレンジの幅が広がり、作者の気持ちまでも伝わってくる。
田中一光の作品には黒バックに様々な色をちりばめるデザインが多い。一見派手でカラフルなイメージに見えるのだが、至近距離でじっと見ていたら気づいた。色彩のトーンが決して彩度は高くなく、むしろ非常に彩度を抑えたダルトーンやディープトーンの鈍い色を配置している。ビビッドな色はあまり使用していないにもかかわらず艶やかで華やかな印象として記憶に残る。やはり色彩感覚と色のコントロールの才能が抜群だ。
来館者も少なかったため、学芸員さんの書いた解説文も全部読んで100分以上かけてじっくり見ました。
さすがにぐったり疲れましたが、来てよかった。やはり絵画もデザインも本物を見なければ、本当に見た、とは言えないなと改めて感じました。田中一光先生を尊敬するデザイナーとして、一体今まで何を見ていたのだろうとやや恥ずかしい気分で美術館を後にしました。
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