今年12月25日でおかげさまで設立20周年を迎えることができました。
まずはクライアントの皆様、協力会社の皆様、そして社員と家族に感謝したいと思います。
1995年の9月1日に創業していわゆるフリーのデザイナーとして仕事をしてきました。最初は屋号も「クマガイデザイン」で自宅から始まって、次に下北沢のいとこの会社に机を置かせていただいていました。創業から3年と4ヶ月。不況のドン底は続いていましたがおかげさまで仕事にも恵まれ、社会的な信用を得るために一念発起の思いで法人化しました。1998年の年の暮れのこの日に有限会社ノイエデザインを設立いたしました。
1998年といえば、長野オリンピック・パラリンピックの年。日経平均株価の終値が1万3000円台。女子高生やコギャルがルーズソックスで渋谷を闊歩し、ワンレングスが流行。宇多田ヒカルがデビュー。バブルの崩壊後「失われた10年」の真っ只中、女子高生だけは元気いっぱいだった記憶があります。AppleのiMacが登場して、倒産しそうなAppleを立て直しました。あの三角形のサクマの「いちごみるく」のような形をしたカラフルな半透明のiMacのデザインには目を見張りました。
法人を設立した時は赤坂のTBSのすぐ裏にある雑居ビルで、お金がないのでデザイナーの友人と家賃をシェアして仕事をしていました。その頃は事務所にクライアントが打ち合わせにくることはほとんどなく、友人と好きな音楽を流して毎日気楽な感じで楽しくやっていました。やがて恵比寿のマンションに移り、設計デザイナーとイベント会社(かな?)との3社で家賃をシェアして仕事をしていました。会議室のスペースもあり、クライアントもちらほら打ち合わせに来ていただくことも多くなり、忙しさが増していきました。会議室でよく寝たものです(笑)。徹夜も続くし、一人で仕事をこなすことが難しくなり、思い切って従業員を初めて雇いました。その時に入社してもらったスタッフが今もチーフデザイナーとして働いてくれています。彼女には本当に感謝しています。
オフィスをシェアせずに自社だけで事務所を持ちたいと、次に引越したのが原宿の駅近くにあるビルでした。ここに移って以来、徹夜や休日出勤はほとんどありません。それまでブラックな働き方をしていたので、徹夜、休日出勤しなければならないような仕事は断ろうと決めたのです。それだけお仕事も困っていなかったのですね。大口のお仕事も入り毎年節税対策でお金を使い、いい調子でした。
社員も増え、手狭になったので表参道のおしゃれなビルに引っ越しました。ここの家賃はめちゃめちゃ高かったけれども、ブランディングも大切ですし、支払いもなんとかなるだろうと持ち前の楽天的気質も手伝い引っ越しました。増資して有限会社から株式会社へ。日本中景気が良かったのですが、2009年、突然あのリーマンショックの影響が日本にやってきました。それまで順調にやってきましたが、この時ばかりは大変な目に会いました。続く2011年の東北の大震災で追い討ちをかけられ、仕事が減って、単価も安くなっていきました。知り合いのデザイナー達も社員を解雇し、バタバタと潰れて、地方に引っ込み、もうデザインでは食えないと転職していきました。
会計士さんからは「こんな高い家賃のところは早く引っ越しなさい」と言われ続けていました。今後のデザイン業について立ち止まって考え始めたのもこのころです。ネットでデザイン(のようなもの)が安い価格で売られていて、デザイナーに高い金を出さなくても綺麗なデザインが手に入る時代になりました。お金のない個人事業者だけではなく、大手の会社もそのようなインスタントなデザインを買い始め、グラフィックデザイナーも食うに困って、ネットで安い価格でデザインを切り売りしている。自分の首を絞めていることに気づいていないのか、食べるために仕方なくやっているのか、デザイン業界の将来はあまり明るくないなと感じ始めました。
デザインの価値が正しく理解されていないということに歯がゆさを感じながらも、それを伝えなければならないのは他ならぬデザイナー自身なのに、我々はそういうことをやってきていないと改めて気づきました。日本グラフィックデザイナー協会という業界団体も、先生デザイナーはたくさんいるけれども、社会的な影響力を発揮するようなことは全然していない。「デザイン村」の中で、デザイン賞をお互いに与え合い、平和ポスターとか作って自己満足しているようにしか見えない。
デザインにお金を払う企業や経営者はデザインが欲しいのではなく、会社の発展が欲しいのです。企業の発展には優れたデザインが必要だけれども、デザインだけでは残念ながら発展しません。デザインはあくまで「情報を届けるための乗り物」であり、「伝える手段」です。重要なのは「何を伝えるのか」と「どう伝えるのか」の部分。ここがないままに、綺麗な「箱」をつくっても開けてみたら空っぽでは意味がないのです。しかしそういうことを言っているデザイナーがあまりいません。そこはデザイナーの仕事の範疇ではないとほぼ全員が思っているのでしょう。
僕は20代の時にCI会社に勤めていましたが、その時に初めてデザインの役割と使命に気づかされました。経営にはデザインは重要であるが、経営はデザインだけでうまくいくようなものではない。この当たり前のことをデザイナーはどれだけ意識しているのか。経営者もしかりです。
マーケティングを学び始めたのもこのころです。経営者に向けたデザインやマーケティングのセミナーに登壇させていただき、経営を伸ばすデザインを目指し始めました。そうなるとうちの会社のブランディングは青山や表参道ではなく、もっとビジネスの香りがする街に事務所を構えた方が良いと思い、麹町へ引っ越しました。半蔵門の駅前にあったビルは僕が美大を卒業して社会人デビューしたデザイン会社のすぐ近くでした。そのころお昼によく通ったお店もまだあったりして、新人の頃を思い出させてくれ、新たに出直す気持ちにもなりました。
かなり広い面積の部屋でしたが、打ち合わせテーブルが本棚で仕切られているだけでした。この頃は頻繁にクライアントさんが訪ねてくるようになっていましたので、デザイナーが作業に集中できなかったり、クライアントの情報のセキュリティの事もありますので、打ち合わせの部屋が別になっている事務所を探して、今の永田町に引っ越してきました。
今のビルは4階建てなのでエレベーターを設置する義務がなく、階段を上るのが大変です。僕にとっては良い運動にはなりますが、クライアントさんに4階まで歩いて来てもらうのは申し訳なく思っています。しかし、ビルの最上階から眺める空は美しく、バルコニーからホテルオークラや森ビルを一望できます。実は空が見える事務所は初めてなので、とても嬉しい。引っ越しと同時に入社してくれたデザイナーも経験は少ないけれど、才能ある優秀な人で、みるみる育ってくれてとても嬉しく思っています。
2016年には「ノイエデザイン」という社名から「デザイン」の文字を取り、「ノイエ」に変えました。やっていることはあまり大きく変わりませんが、デザイン会社ではなく、デザインで経営を伸ばすコンサルタント会社に方向を定めたのです。今でも自分はグラフィックデザイナーであることは意識していますが、しかし日本で一番デザインのことを知っている経営コンサルタントでもあるという自覚も持っています。
「何のためにやるのか?」これはデザインだけではなく、あらゆる経営や商売、事業、すべての行いに向けて問われる質問だと思います。
20周目を回り終えて、21周目からは、日本の中小企業に、デザインの価値を理解していただき、デザインは経営を伸ばすために必要な経営資産なのだということを広めていきたいと思います。
そして起業家も増やしていきたい。日本は世界でも起業する人が非常に少ない国です。その理由は社会の仕組みだったり、若者のマインドのせいだったりするけれど、起業して人の役に立つ商品やサービスを提供したい、人に喜んでもらえる人生を送りたいという人たちを応援したいと思います。
経営者は世の中をより良くしていくためのアイデアを形にしていく人たちです。しかし、なかなかそれが難しい。ほとんどの経営者は自分の専門分野ではエキスパートなのですが、それを知ってもらう方法やそれを買ってもらう方法については全くの素人だからです。そういう人たちの素晴らしい商品やサービスを広め、買っていただけるようにする。それを買った人が幸せになる。そのためのお手伝いをしていきたいと思います。
何卒、今後ともよろしくお願いいたします。
コメント
20周年おめでとうございます。
そして、21年目のスタートおめでとうございます。
私の尊敬する人で吉田實さんという100歳の理容師がおりましたが、その方の名言で「仕事に卒業はない」と仰っています。人は一生成長しつづけるべきであることを伝えているのだと思います。
ノイエ様のますますのご発展をお祈り申し上げます。
12月27日 広田
広田様、コメントをありがとうございました。僕はどれくらい成長してきたのか、これから成長できるのか…。自信はありませんが、新しいことにチャレンジしなければ成長はしないんだなとおぼろげながらに思うこの頃です。時代が新しくなるスピードに合わせて、自分も新しくならねば。
素敵なメッセージをありがとうございます。