「東京五美術大学連合卒業・修了制作展」のポスターがのデザインが手抜きすぎてひどいと言う意見がSNSで盛んに上がっています。
かたや美大の権威をぶち壊す良いデザインだと言う意見もあります。賛否両論出ていますが、やっぱりひどいと言う意見の方が圧倒的に多いようですね。
今年で42回目を迎える5美大卒業制作展ですが、毎年このポスターは持ち回りで作っているらしく、今年は多摩美術大学の担当。教授の服部一成氏がデザインしたと言うことです。
「キューピーハーフ」やキリン「淡麗グリーンラベル」の広告、流行通信のリニューアルや、奇抜なシンボルマークなど、これまでの常識をぶっ飛ばすような斬新なグラフィックデザインが特徴のデザイナーです。
服部氏がデザインしたと言うのを読むと、なるほど服部さんらしいわ。と言う感想を抱きます。同じような意見がデザイナーの中では出ているようです。
「服部さんらしくて良い」とか「服部さんぼくて好きだ」とか。
しかしデザインを見る者にとっては誰がデザインしたなのかという事なんかどうでもいいことで、見た瞬間どのような効果があるかどうか。それがデザインにとって1番重要だと考えます。
デザイン村のデザイナーは僕も若い時はそうでしたが、有名デザイナーをアイドルみたいに感情移入するので、危険です。
一般的な人の意見ではやはりこの落書きのようなポスターはひどいと言う意見はとてもよく理解できます。
美しくないし、好き嫌いでものを言いますがピンクのLINEも好きじゃないし。どうせやるなら大学名も手書きにして欲しかった気持ちはありますが、ここにフォントを使っているためになんだか中途半端な不完全さが強調されているような残念な気もします。どうせならキューピーハーフみたいに手書き文字にしてほしかった。
いったいこのポスターはデザイン的に優れているのか?
それともひどい作品なのか?
有名なデザイナーが作ったんだからこれは計算されている優れた作品である…のか?
僕は最初このポスターを見た時は面白いと思いました。しかし美しいと思わなかった。「これは美しい」とか言っているやつは「ホントかよ?」と思ったし(人それぞれなので、自由ですが)。
ネットでこんなに話題になってるんだから注目されたという点ではマーケティング的に成功している。しかし表現的に素晴らしいか、心地よいか、かっこいいか.と言えば全くそうは思わない。
しかし全くそうは思わないからこそ話題になっているのだろう。これを服部氏が計算していたのであれば、良いデザインである。
「所詮、毎年美大の卒業生の関係者しか来ない展覧会なんだから、ポスターで集客しようということはもう考えるのはよそう。それよりも毎年42年間も美大の卒展やってるんだよっていうことをこの世に知らしめたいな」
という意図で作ったデザインであるのであればこのポスターのデザインは優れたデザインである。たとえ落書きのような表現でもだ。
「キューピーハーフ」やキリン「淡麗グリーンラベル」があんなにゆるくても良い理由は、カロリーが半分のマヨネーズの「軽さ」や、糖質70%オフのビールの商品特性やイメージを上手に表現できているからあれで良いのであって、あのゆるさが商品のメリットを伝える表現だったのである。
このポスターが酷い手抜きだというような意見を言う人はデザインがカッコよくて美しいものでなければならないと思い込んで言ってるのかもしれない。
ネットの意見の中で「ポスターを見てこの展覧会に行こうかなと思わせないデザインは、失敗である」という意見があった。
正論にも思えるが、しかしいくらポスターのデザインが良いからといってじゃあ、卒業作品展に行ってみようか、なんて思う人はどれだけいるのだろうか?
そんな人はほとんどいないと思っている。卒業生の親か、2親等以内の肉親か美大を目指す高校生か教育関係者か友人ぐらいであろう。誰も学生の下手くそな作品なんか見に行きたいと思わない。(学生さんたちには失礼だが、下手=悪いとは思っていない)
もし「42年間も美大の卒展やってることを知らしめよう」という意図であれば、誰も見向きもしない歴史あるこの展覧会を話題にすることこそがこのポスターのデザインの目的であり、今回のデザインは目的を達成した作品になると言えるだろう。
アートとデザインの違いはアートには目標はなく、デザインは目標がありそれを達成しなければ良いデザインとは言えない。ということである。
服部氏の目標はどこにあるのかは僕には分からないが、経営コンサル的な視点で見て、外部環境や多摩美大生だった自分の経験から考えてみればおそらくそのようなことも考えられ、実際このような賛否両論の話題に挙げられているということでこれは大成功なんじゃないだろうか。
ちなみに昨年のムサビの担当の5美大のポスターを見た。非常に美しいグラデーションだとは思うが、非常につまらない。その前の年はインパクトのある躍動感ある表現だと思うが話題にも何もならなかった。
結局5美大卒業制作のポスターの役割としていかに美しいかとか、いかに芸術的なクオリティーが高いかとか、そんなことは重要ではないのかもしれない。今年の5美大卒業制作展の動員数が例年よりも多いのであれば今回のポスターは大成功だったといえるだろう。
とはいえポスターが良い悪いとかポスターが話題になった話題にならなかったとかで動員数は変わるようなものではおそらくないのであろう。
だったらデザイナーとしては話題になるだけでもデザインの機能的な意味があるのでは無いだろうか。
社会になんらかの影響を与えるのも、グラフィックデザインの持つ社会性という重要な要素である。
多摩美にもたくさんの有名なデザイナーが教鞭をとっているがよりによって服部一成氏のような奇抜でゆるーいデザイナーを起用したというのも多摩美のグラフィックデザインの戦略的センスが優れているのかもしれない。
グラフィックデザインは戦略の目的ではなく、手段だからである。
誤解のないように言っておきますが、僕は今回のポスターをある仮説の上で、良いデザインとは書きましたが、好きなデザインとは言っていません。新しいとも思っていないし、ぜんぜん美しくない。
これを「洗練された線」とか言っている人は、「どこが?」と言いたい。「あのキューピーの」服部氏でなく、他の人がこのデザインを提案したら、絶対にやり直しでしょう。5美大のイメージも良くはならないし。服部氏だって自分で「洗練された線」などと思っていないと思う。わざとジャギーのあるデジタルな線を使っているので、線の表情の美しさではなく、何か他のメッセージは感じるが。「これがわからないなんてデザインをわかっていないよよね」という人はデザインを高尚なアートのひとつだとか思っているのではないだろうか?
大勢の素人に嫌われてしまってはデザインはNGなんです。2015年に東京オリンピックのエンブレムで国民に総スカンを食らって税金を無駄にしたデザイン事件がありましたが、その時にも「このデザインの良さをわからないなんて」という意見がたくさんありました。
「デザインとは何か?」と「デザインはどうあるべきか?」の意味は違う。
美大に大金払って美の追求をしてきて、何ヶ月もかかって卒業制作を作り、4年間の自分の学びを総括する展覧会。そのポスターがこれでは。今年の卒業生の気持ちを察するとかわいそうでなりません。ましてや、デザイン学部はこの展覧会の中に入っていないので「芸術家の卵」たちには理解できんでしょうな。
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