エクスペリエンス・デザイン(XD)とは、商品やサービスを通じたユーザーの体験(感情、行動、満足度)を俯瞰的に設計し、顧客が受ける価値を最大化する手法です。単なる見た目のデザインや機能性だけでなく、ユーザー体験(UX)を基盤に、心理学やビジネス戦略を組み合わせて「選ばれる理由」を創出することです。
今回、僕は日本一の湧出量を誇る大分県・別府市に行ってきました。(詳細は前回の記事を参照)
街中のいたるところから湯煙が立ち上り、歩いているだけで硫黄の香りに包まれるこの街は、まさに「温泉のテーマパーク」とも呼べる場所。しかし、単に「風呂に入る」だけが別府の魅力ではありません。
別府といえば温泉、とすぐに連想されるように、ブランドとなっています。「別府八湯めぐり」は、経営者やクリエイターにとって、実は「ブランド・ポートフォリオ」と「ユーザー体験(UX)」を学ぶための最高の実践教材なんです。
別府には、泉質の異なる8つのエリア(別府八湯)があり、それぞれが全く異なる「キャラクター」を持っています。泥湯があれば、砂湯があり、さまざまな地獄池があれば、生活感あふれる共同浴場がある。この多様性をどのように編集し、一つの「別府」という巨大な観光ブランドとして成立させているのか。今回は、デザイン経営の視点から「別府の湯めぐり」というエクスペリエンス・デザインを解剖していきます。
五感で味わう「別府」の構成要素
別府の湯めぐりの基本は「別府八湯(べっぷはっとう)」です。これは、別府、浜脇、観海寺、堀田、明礬、鉄輪、柴石、亀川という8つの温泉地の総称。この「別府八湯」は最強の「製品ラインナップ」です。
別府・浜脇:
街の中心。歴史と賑わいの「フラッグシップ・モデル」。
観海寺・堀田:
絶景と癒やし。リゾート価値を最大化した「プレミアム・ライン」。
明礬(みょうばん)・鉄輪(かんなわ):
独特の香りと湯治文化。ニッチで熱狂的なファンを持つ「コア・プロダクト」。
このように、一つの街の中に「万人受け」から「マニアック」まで、絶妙なバランスでサービスが配置されています。これは、企業の事業展開における「ブランドの住み分け」そのものです。
エクスペリエンス(体験)の多様性
湯めぐりの面白さは、ただ「湯に浸かる」という動作にバリエーションを持たせている点にあります。
砂湯: 海辺で砂に埋まるという「アトラクション」的体験。
泥湯: 粘土質の泥にまみれるという「非日常」の演出。
蒸し湯: 温泉の蒸気で体を蒸す、サウナの原点ともいえる「デトックス」体験。
これらはすべて、同じ「地熱」という経営資源から生み出された異なる「UX(ユーザー体験)」です。同じリソースを使って、これほどまでに違う価値を生み出せる。これはデザインの力に他なりません。
街全体が「巨大なインスタレーション」
僕は鉄輪の街を歩いていましたが、石畳の道端の側溝から湯気が上がり、マンホールから音がして、小さな川からは湯気が立つ、非日常的な景色に感動しました。まるでスモークの演出のような効果です。これは意図せずしてできた風景かもしれませんが、今や別府を象徴する「ビジュアル・アイデンティティ(VI)」となっています。観光客は、湯に入る前から「ああ、別府に来たんだ」という実感を視覚と嗅覚で得ているわけです。
知見と意見:僕のナレッジソースに基づいた「湯めぐり」の考察
僕がこれまでのブランディングの実務で大切にしてきた「良さそうの法則」や、経営戦略の視点を絡めて、別府の凄さを深掘りしてみます。
別府の駅前に、おかしな銅像が立っています。油屋熊八という人物の像で、ポーズも変ですが、その上着には鬼がくっついているのです。こんなヘンテコな像は他にあまりないでしょうね。
別府を語る上で欠かせないのが、明治から昭和にかけて活躍した実業家、油屋熊八(あぶらやくまはち)です。彼は、現代の言葉で言えば「デザイン経営」の先駆者でした。
彼は「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチコピーを掲げ、「別府」というまだ無名の温泉地を勝手に富士山と並ぶキャッチフレーズを考案し看板を立てるなどして広めました。今でいう「ゲリラ・マーケティング」ですね。
さらに、日本初の「女性バスガイドによる案内付き定期観光バス」を走らせたのも彼です。これは、単にバスに乗せる(機能の提供)のではなく、ガイドの語りを通じて「別府の物語を楽しむ(体験の提供)」へと価値をシフトさせた大発明です。油屋熊八は「ブランド・マネージャー」と言えるでしょう。
経営者が学ぶべきは、この「物語をデザインする力」です。どんなに良い泉質(商品)があっても、それを届ける「演出」がなければ、人は動きません。
100円の共同浴場がなぜ選ばれるのか
別府には、地元住民が管理する「共同浴場」が数百あります。多くは100円から300円程度で入れます。豪華な設備はありませんが、そこには「本物感」という最強のブランディングが漂っています。
僕が提唱する「良さそうの法則」に基づけば、人は「綺麗すぎる施設」よりも、地元の人に愛され、手入れが行き届いた古い建物に「ここなら間違いない」という直感的な信頼(良さそう!)を感じることがあります。
お湯の品質と、他にはない風情、オシャレ感が微塵もない、むしろ僕のようにくたびれた侘び寂びの味わいが好きな人にはたまりません。
デザイナーの視点で見れば、古い看板のタイポグラフィや、使い込まれた木の桶、それらすべてが「このお湯は効く」というエビデンスとして機能している。これは、ブランドを作るときに「信頼感」をどう表現するか、という課題への答えがそこに落ちているようなものだと感じます。
別府の湯めぐりは、決して「完成されたリゾート」ではありません。路地裏は入り組んでいるし、坂道はきつい。でも、その「不便さ」が、次の湯を探す「探索の楽しみ」を生んでいます。
これはWebサイトのUXデザインにも通じます。すべての情報を最短距離で見せるのが正解なときもあれば、あえて「回遊性」を持たせてブランドの世界観に深く浸ってもらう設計が必要なときもある。別府の湯めぐりは、まさに「回遊型デザイン」の極致かもしれません。。
温泉で「感性」をアップデート
別府の湯めぐりはただの旅行記ではなく、ビジネスやデザインのヒントが詰まった「学びの場」として捉えると、見える景色が変わってきませんか?
今日のまとめです。
1. 多様性は強み: 8つの異なる個性を一つのブランドにまとめる「編集力」を学ぶこと。
2. 体験を売る: 油屋熊八のように、モノではなく「物語」をデザインすること。
3. 五感を信じる: ロジックだけでなく「なんとなく良さそう」という直感的な魅力を、空間全体で作り上げること。
AIがどれほど進化しても、温泉に入ったときの「あぁぁ……」という深い溜息や、肌に触れる湯の質感、湯上がりの風の心地よさを設計し、言語化できるのは人間だけです。
デザイナーや経営者の皆さんに、ぜひおすすめしたい。
「最近、頭が硬くなっているな」と感じたら、近くの温泉に出かけてみてください。MacのRetinaディスプレイでは決して再現できない「本物の色彩とテクスチャ」が、そこには溢れています。
そして、湯船に浸かりながら、自分のビジネスやデザインという「お湯」に、どんな物語を込めるべきか。そんなことをぼんやり考える時間は、贅沢で価値のある「投資」になるはずです。








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